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 【HP管理者Tが振りかえる李登輝前総統来日報道日記】

 李登輝前総統の訪日が実現するとの報道は、2004年12月16日付の産経新聞が朝刊一面で報じた第一報でした。この日から、李氏訪日に関するニュースが世界を駆け巡り、中国側の反応や日本国内での動きも報道されました。12月16日から、李登輝前総統一行が帰国されるまでにおよそ3週間、各メディアの関連報道を追いかけ続けたHP管理者が、感想とともに綴ったのがこちらの日記です。また、管理者Tが追いかけたメディアは日本・台湾・米国・中国の主要メディア、ロイター通信・AP通信などの配信記事です。

 ※日付ごとの関連報道は「2004年 李登輝前総統来日特集」をご覧下さい。


 【2004年12月16日】

 本日付の産経新聞一面に、「李登輝前総統が年内にも来日 政府、中国へ通告」との記事が掲載された。お昼過ぎには、毎日新聞・日経新聞・朝日新聞・東京新聞などがインターネット上で細田官房長官の発言などを交えて記事を配信。また、AP通信の配信により、ニューヨークタイムズ紙も掲載するなど、「李氏訪日」のニュースが世界を駆け巡った一日となった。人民日報英文版も共同通信の記事を転載して報道するなど、日本・台湾・中国・米国で報道が過熱していく。

 HP管理者にとっても正念場という思い。あらゆる媒体の報道記事をチェックする慌しい日々が始まった。この日から、李氏が帰国するまでの3週間あまりは、何か新情報が流れるのでは、との強迫観念からパソコンの前に座っていないと不安で仕方がなかった。

 李登輝前総統の訪日報道を受け、本会では小田村四郎会長名で「李登輝前台湾総統来日についての歓迎声明と政府への要望」が発表される。すぐにHP上にも掲載。
 【12月18日】

 来日報道から一夜明け、台湾国内でも各紙が大きく報道している。日本の産経新聞が第一報のスクープだったらしい。

 本土派の論調を張り、台湾最大の発行部数を誇る自由時報では張茂森・東京支局長が「長年に渡って待ち望んだ李登輝氏への訪日査証が遂に発給される」と特別寄稿。張さんは、在日20年を越え、台湾日報や中国時報を渡り歩いた知日ジャーナリスト。奇しくも、日本での留学先は京都大学で、李登輝前総統の後輩となる。台湾日報は李氏来日のニュースをトップで報じた。

 日本国内各紙では、中国政府が早速妨害に動き始めたことを報道している。17日付の産経新聞では社説で「数次ビザの発給を」と主張。
 
 ただし、細田官房長官は16日午後の記者会見で、「日本政府の決定は覆らない」と明言した。小泉首相も「ビザを発給しない理由がない」と突っ撥ねるなど毅然とした対応。

 17日付、中国の人民日報(電子英字版)、China Dailyなどの各紙は一斉に日本の対応を非難する報道。李登輝前総統を、「Taiwan independence champion(台湾独立のチャンピオン)」といつも以上の豪華な肩書き。

 欧米系のメディアはその後の大きな報道はなし。

 米国国務省定例会見でも、メディアから、李氏訪日に関する質問は出ず、「一私人に対する査証発給は、独立国家の主権行為」という世界の常識が改めて証明された。
 裏を返せば、国家主権の行為に内政干渉する中国政府の横暴ぶりが露呈したに過ぎない。
 【12月22日】

 21日のビザ発給から一夜明け、各紙が大きく報道。同時に、中国政府のひとりよがりの反発も報道されている。朝日新聞や共同通信など、もともと中国支持を鮮明にするメディアは、「中国の反発は必至」と、相変わらずマッチポンプの報道手法をとっている。

 日本政府内の反応は、「それは中国側のお考えだろう」(細田長官)、「中国側は政治問題化をねらって抗議しているのは明白。たじろがずに淡々と来日を受け入れるだけだ」(政府関係者)、「中国も大人げない。政府を離れた老人が観光で来るのだから(大騒ぎせずに)受け流せばよい」(久間章生・自民党総務会長)。

 産経新聞紙上では、中嶋嶺雄氏が、「(中国の主張は)内政干渉もはなはだしい。こうした批判を続ければ、中国自身が国際社会の笑い物になるだけだ」。
 【12月23日】

 本日付の産経新聞『産経抄』では中国の横車がテーマに。また、都内版『石原語録』でも、石原慎太郎都知事が中国の幼稚さを哀れむコメント。
 【12月26日】

 本日付の各紙では、野中広務・元幹事長が、李登輝前総統へのビザ発給に抗議する意味で、予定されていた訪中を取りやめるとの報道。政治家を引退した「一私人」が中国にいらぬ気を使う結果となった。

 来年にはチベットのダライ・ラマ14世の訪日を政府が認めたとの報道がなされる。日本が正常な国家への道を歩み始めたような感慨を覚えるのは私だけではあるまい。

 読売は李氏の訪日を、「青年時代を懐かしむセンチメンタルジャーニー」と題して日本を愛する台湾前総統の来日直前の様子を報じた。

 本日の台湾紙・台湾日報は、中国政府が(李氏の母校である)京都大学に対し、『李氏が訪問しても接待するな、ましてや招待は許さない』と脅迫していることを報道した。


 いよいよ明日は李登輝前総統が名古屋に降り立つ。搭乗する航空機は日本アジア航空。当初はキャセイパシフィック航空を予定していたが、香港に本拠を置くキャセイ航空が中国政府の意を受け、李氏を搭乗拒否するのではとの憶測が流れ、数日前に急遽変更になったとのこと。

 この情報に接し、思い出したエピソードがあった。
 台湾の民主化が促進され、ブラックリストによって長年台湾に帰れなかった人々が次々と台湾への帰国を果たしていた頃のこと。当時日本に在住していた黄昭堂氏(台湾独立建国聯盟主席)は、仲間の金美齢氏や周英明氏らと台湾に強硬帰国しようとしていた。民主化も進み、国民党政府も帰国した独立運動家を逮捕したり処刑するといった手段を取ることは出来なくなっていたのだ。
 しかし、当日搭乗しようとしていたシンガポール航空は、成田空港で黄氏の搭乗を拒否。情報を察知していた国民党政府から「黄昭堂を搭乗させたら、台北空港への着陸許可を出さない」との通達があったという。台北への着陸後も、乗客はすぐに降りることが出来ず機内に待機させられ、憲兵によって黄氏が搭乗していないかどうかのチェックが行われたという。
 国民党政府と中国政府、相手は違えど同じ中国人。考えることは同じであろう。日本アジア航空を利用するのは一番賢明な判断であるかも知れない。
 【12月28日】

 来日から一夜明けた28日、国内各紙は名古屋空港で多数の日本人・在日台湾人が出迎えたことを報じた。出迎えの中には、交流協会の高橋雅二理事長やJR東海の葛西敬之会長、八田與一氏のご令息・八田晃夫ご夫妻の姿もあったことを台湾紙・自由時報が報道している。 

【名古屋空港に李登輝前総統を迎えた八田與一氏のご令息・八田晃夫ご夫妻】


 随行の台湾日報・鄒麗泳記者は、『歩兵から高射砲兵へ 李登輝おじさん、思い出の名古屋(歩兵変高射砲兵阿輝伯名古屋情縁)』と題する随筆を掲載した。
 【12月29日】

 日本滞在2日目、李登輝前総統一行が日本観光を楽しまれる様子が台湾各紙で報じられた。一行は午後、名古屋城を見学。

 報道によれば、李氏は孫娘に戦国の武将・徳川家康や豊臣秀吉について説明していたという。夕方、見学に訪れた徳川美術館には徳川家第22代当主・徳川義崇氏が接遇のため東京から駆けつけた。

 また一行に随行する記者団の中に、中国・新華社通信の呉谷豊記者の姿が。台湾からの記者団に発見され、囲まれて逆に取材を受けるハメになった呉記者は、「特別な目的はない。ただ取材したいだけ」ととぼけた。しかし、日本と台湾の記者が李氏に近づいて撮影しようとすると、日本政府が派遣した警護人員に遮られるのに対し、呉記者はゆうゆうと撮影しているという。台湾記者団からは「日本外務省が新華社を厚遇しているのでは?」と疑問の声があがった。

 李氏の孫娘・李坤儀さんは、母親と共に高島屋でショッピング。高島屋では、突然現れた記者団に一時騒然となった。買物に来ていた日本人が、「どんな有名人が来ているの?」と記者の一人に尋ねる場面も。李登輝前台湾総統の孫娘と知り、遠巻きに眺めていた買物客から、「お孫さん、超美人だ」との声もあがったそう。

 読売新聞・社説が、李氏の来日実現を「対中関係正常化の第一歩」として掲載。

 一行は、本日午前、鉄路で八田與一の故郷・金沢へ向かわれる。

 【12月30日】

 李登輝前総統一行は、29日午前、およそ50人の見送りを受けて特急列車で名古屋を発ち、昼前に金沢駅に到着された。金沢駅頭では、日の丸と台湾旗をちぎれるほどに打ち振る300人の群集が一行を迎え、黒山の人だかりに気付いた李前総統は、ハッとした表情の後、帽子を取って深々と一礼されたという。なお、当日は200名以上の警察官が警備にあたり、水も洩らさぬ厳戒態勢だったとのこと。

 一行は、八田與一氏の展示もある「市立ふるさと偉人館」や、兼六園を見学。陶芸家の大樋長左衛門氏の窯元を訪れ、へらで茶わんに文字を彫り付けるなどして楽しまれた様子。

 当夜は、和倉温泉の名門旅館「加賀屋」に投宿。自由時報によれば、到着した一行を、加賀屋グループ会長の小田禎彦ご夫妻と長女、孫娘の3代でお迎えしたという。盛大な歓迎の様子を目の当たりにした日本人同宿客は、「李登輝前総統ご一行と同宿なんて、この上ない光栄なことだ」と口々に語ったという。

 30日午前、李登輝前総統一行は、李氏が尊敬する哲学者・西田幾太郎記念館を訪れた。西田氏の著書『善の研究』は李氏の愛読書の一冊であり、李氏は館員の説明にうなずいていたという。
 
 その後、八田與一氏の生家を見学した一行は、八田氏の親戚の出迎えを受けてしばし歓談した。一行は夕刻、特急列車で名古屋に戻られた。

 午後、北京の日本大使館前では、−5℃の酷寒の中、反日団体「愛國者同盟網」のメンバーおよそ50人がご苦労にも李登輝前総統の肖像を燃やしたとTVBS(台湾)が報じた。中国公安は見てみぬふりをしていたという。日本政府が李登輝前総統への査証発給を決めた10日前にも同様の抗議を行っている。

 【12月31日】

 本日午前、初めての乗車となる新幹線で京都観光を楽しまれる李登輝前総統は、京都大学時代の恩師・柏祐賢氏と60年ぶりの再会を果たす。柏氏は現在98歳、近年は健康が優れず、度重なる李氏の訪日妨害に心を悩ませており、周囲に「もし自分が死んだら、その葬儀参列のためと称して来日が実現するかもしれない」と洩らしていた。そのことを伝え聞いた李氏が非常に感動し、酷寒の京都に必ず恩師を訪ねることを決意したという(自由時報)。まさに「仰げば尊しわが師の恩」である。  

 母校・京都大学を訪れた李登輝前総統は、事前に大学当局に対して訪問の意を伝達していたにもかかわらず門前払いを食わされた。大学側は、『大学の自治』を盾に、警護する警察官の入構を認めないと通達し、安全を考慮した李氏側が学内に入ることを断念した。中国政府が京都大学に対して「李氏の訪問を認めるな」と脅迫していることが26日付の台湾日報で暴露されており、京大が屈したという見方が広まっている。事前の通告にもかかわらず、当日になって大学側が拒否した背景には、中国政府の脅迫と日本国内の世論の板挟みを恐れたものとみられる。李氏は、結局、構内に入ることを断念し、そぼ降る雨の中、校門前から母校の雄姿(?)を見上げていた。


 李登輝前総統は、京大在学時、当時助教授だった柏祐賢・京大名誉教授と60年ぶりに再会。柏氏が「もういっぺん会えるとは思わなかった」と言葉をかけると、李氏は微笑んでいたという。歓談後、「(京大時代の先生で)生きているのは柏先生だけ。会えてよかった」と話した。


 ☆【金美齢女史「李登輝さんは日本に悪いことをしたのですか」 月刊自由民主2002年12月号より抜粋】

 『97年は京都大学の百周年。李氏は母校の記念式典への参加希望を表明したが、京大は「李氏は中途退学だから」という最低のいじましい理由でこれを認めなかった。背後に政治圧力があったのは自明のことである。かつて戦前、政治圧力から一教授を護るため、教授ら39名が辞表を出した「滝川事件」は同大学の名声を大いに高めたものだが、それも今は昔。因みに李氏は戦時下の42年に台北高校から京大に進学、翌43年に学徒出陣、日本陸軍少尉として終戦を迎えている。なぜ彼が学業を続けられなかったのか、京大によく考えてもらいたい。』


 【李氏の入構拒絶に関する詳報】

 31日午後、母校である京都大学を訪れた李登輝前総統に対し、大学当局は『大学の自治』を盾に、事実上、李氏一行の入構を拒否し、門前払いを食わせた。大学が提示したのは「大学自治法により、(李氏の警護をする)警察官の入構を認めない」というもの。学内外では、中国人留学生による抗議デモも行われており、警護人員なしで大学内に入ることは危険なため、安全を憂慮した李氏側が大学内への入構を断念した。これは京大が李氏の入構を拒否したのと同意であろう。
  数日前の台湾日報で、京都大学が中国政府から、「李氏を学内に入れるな」と脅迫されていることが報じられており、「大学の自治」を自ら放棄した京都大学が、かたちばかりの「大学の自治」を口実に、誇るべき京大OBの訪問を拒んだかたちとなった。

  1997年にも、京大は100周年記念式典に出席を希望した李氏の訪問を撥ねつけるという前科を持っており、これで前科2犯となった。もはや京大に名門大学としての矜持は無い。

  1日付の自由時報、TVBSは京大の無礼行為を厳しく糾弾しており、TaipeiTimesの報道によれば台湾団結聯盟の陳建銘立法委員(国会議員に相当)が京大に対して抗議した。

 【1月1日】

 明けましておめでとうございます。

 李登輝前総統一行は、本日琵琶湖畔などを見学。

 明日午後、関西空港から出国し、帰国の途につく予定。

 中央通訊社の報道によれば、台北国際空港には、台湾団結聯盟・511正名運動聯盟などから多数の出迎えが待ち受けるとのこと。

 【1月2日】

 李登輝前総統一行は本日午前、京都・清水寺を見学した後、西本願寺大谷本廟(京都市東山区)で故司馬遼太郎氏に墓参した。
 司馬氏はその名著『街道をゆく・台湾紀行』において李氏の「台湾人に生まれた悲哀」という言葉を紹介し、日本に広く李氏ならびに台湾の存在を知らしめた。いわば盟友の墓参を済ませた李氏は、報道陣に対して日本語でメッセージを読み上げ、日本政府及び日本国民に対して感謝の意を述べられた。

 その中には、「日本がますます国際的に、またアジアでも最も発展するよう祈っています」との言葉もあった。この広い世界のどこに、これほどまで日本を愛し、日本を想い、日本を憂えて下さる外国元首がいるだろうか。改めて日本と台湾の絆の深さを思い、李登輝前総統が台湾にとっては勿論のこと、日本にとっても大切な大切な存在であるとの思いを新たにした。


 京都駅で120人以上の人々に見送られた李登輝前総統一行を関西国際空港で待ち受けていたのは、600人を超える日本人・在日台湾人の大群衆。日の丸と台湾旗がちぎれるほどに打ち振られる中、李登輝前総統がソフト帽を振りながら笑顔でコンコースを進まれると、「李登輝先生万歳」、「台湾万歳」の大合唱が湧き起こった。
 その後、ゆっくりと階下に進まれる李氏の背中を、大群集が唱和する『蛍の光』の歌声が見送った。一行は、17時20分発の日本アジア航空217便で無事帰国の途につき、6泊7日の訪日を終えた。

 また、台北桃園国際空港では、陳唐山外交部長(外相)や、羅福全・前駐日大使をはじめ、台湾団結聯盟・511正名運動聯盟・台湾独立聯盟から1200人を超える支持者が帰国を出迎えた。
 肌寒い曇天にも関わらず、李氏は出迎えの人々に応え、日本各地でたくさんの日本国民および在日台湾人から盛大な歓迎を受けたことを報告。「台日関係は断交以来、最良の状態。日本は進歩の中にも伝統を失ってはいない素晴らしい国。しかし、日本にいても想いを馳せるのは母なる台湾のこと。私たち台湾人も台湾アイデンティティを強化して台湾国家の建設のために一致団結して努力していこう」と訴えた。
 【1月5日】

 本日付の読売新聞(電子速報版)によれば、中国政府の提灯持ちメディアである新華社が、特派員による李登輝前総統の日本旅行ルポを掲載し、「李氏は日本人になりたがっている」と李氏の日本への思い入れを槍玉に挙げた。

 ルポはさらに、李氏の巧みな日本語を批判。「22歳まで日本人だった」と公言する李氏をはじめとする台湾人から言葉を奪い、中国語を押し付けたのはルポを書いた記者と同類の中国人である。
 20数年間自由に操ってきた日本語を、李氏が最も流暢に駆使するのは自明のこと。そんなことも解らないようでよくも記者が務まると感心する。そもそも、「中国人になりたい」と言ってもらえないのは、中国人自らの身から出た錆だろう。