東海道新幹線が1964年10月1日に開業してからまもなく50年。この半世紀で新幹線網は東北や上越、九州と広がり、北陸新幹線の開業も間近に迫る。日本各地を短時間で結んだ新幹線は、首都圏の姿も大きく変えている。
■田畑が都会に
全国各地のご当地ラーメンが味わえる新横浜ラーメン博物館は、横浜でも有数の観光名所だ。東南アジアを中心に海外からの来館者も増えている。地元生まれで50年以上、街の変遷を見てきた岩岡洋志館長は「新横浜はずいぶん変わった」と話す。
新横浜駅は東海道新幹線開業にあわせて設置された駅だ。新幹線がなければ、ここに街はなかったかもしれない。田畑や雑木林が広がるばかりだった駅前にはオフィスビルが立ち並び、今や臨海部とならぶ横浜の「都心」の一つだ。
ラー博の開業は94年春。岩岡館長の父親が不動産会社を経営しており、その所有する土地を活用した。20年ほど前のことだが「夜や土日はゴーストタウンのようで『こんなところに』と反対された」と振り返る。
新横浜駅周辺にビルが多くたつようになったのは85年ごろになってからだ。「ひかり」の停車数が大幅に増加、市営地下鉄が新横浜まで開通したのを機に、ようやくにぎわうようになった。
その後は横浜アリーナや新横浜プリンスホテルなどが相次ぎ開業。2008年に「のぞみ」「ひかり」のすべてが停車するようになり、今では新横浜駅全体で約22万人の乗降客を数える。
ただ、この半世紀で発展したのは駅の北側の地区が中心だ。南側の「篠原口」方面は住宅などが並ぶものの大きなオフィスビルは少なく、駅を挟んで風景が大きく異なる。
この南部地区は1994年に都市計画決定の告示がなされたが、地権者などの合意がまとまらず区画整理事業も廃止となった。ただ都市計画だけは残っており、市は「駅前だけでもふさわしい土地利用をしていければ」(都市整備局)と話す。
■埼京線の起源
大宮駅周辺は82年の東北・上越新幹線の開業以降、大型商業施設や企業の支社・支店が集積。1日当たり乗車人員は約24万5000人と全国有数のターミナル駅に成長した。
だが地元住民は当初から新幹線を歓迎していたわけではない。開業前には騒音や振動を危惧する住民らが大規模な反対運動を展開した。国鉄が地元対策として提案し、建設されたのが新幹線と並行する「通勤新線」、現在の埼京線だ。
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