ドカベン香川伸行氏 急死 浪商で「甲子園のスター」まだ52歳
巨人がリーグ3連覇を決めた日、かつての甲子園のヒーローが静かに天国へ旅立った。ドカベンの愛称と、現役時代は100キロを超える巨体で、誰からも親しまれた香川氏が52歳の若さで急死。ペナントレース大詰めの球界に悲報が駆け抜けた。
1989年の現役引退後、野球評論家として活動していた香川氏は01年に急性腎臓症を発症。なかなか症状は良化せず、08年4月からは人工透析を受けて完治を目指していた。病魔と闘う一方で、少年野球の指導にも尽力。「第2のドカベン」育成に力を注いでいた。関係者の話では、最近は腎臓だけでなく、心臓の病気も患っていたという。闘病生活の中、この日、福岡県内の自宅で倒れているところを夫人が発見。死因は心筋梗塞だった。
記録にも記憶にも残るスラッガーだった。浪商(現大体大浪商)に進学し、牛島和彦氏(本紙評論家)とバッテリーを組み、甲子園では3年時の79年春に準優勝、夏は4強に進出した。特に夏の大会では3試合連続本塁打の離れ業。その体形と強打は水島新司氏の描く漫画「ドカベン」の主人公、山田太郎をほうふつさせ、それがニックネームとなった。
79年ドラフト2位で南海に入団。80年7月8日の近鉄戦でプロ初打席本塁打をマークした。シュアな打撃で玄人筋をうならせる一方、100キロ超の体重は年々増加し、オフに取り組むダイエットが、風物詩になったほど。引退した89年の登録サイズは身長1メートル70、体重120キロだった。
10年間の通算成績は714試合で460安打、打率・255、78本塁打、270打点。残した数字以上に、ユーモラスな巨体と言動で、老若男女を問わず、人気は高かった。
◆香川 伸行(かがわ・のぶゆき)1961年(昭36)12月19日、大阪府出身。浪商(現大体大浪商)では捕手として牛島和彦とバッテリーを組み、3年時の79年春準優勝、夏は3試合連続本塁打を放ち4強。同年ドラフト2位で南海に入団。80年7月8日近鉄戦で井本からプロ初打席本塁打。83年ベストナイン。89年限りで現役を引退。右投げ右打ち、79年の登録サイズは1メートル70、120キロ。引退後は評論家や少年野球の指導者として活動した。