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巨人・原監督、男泣き!天国の父・貢さんに捧げたV3!!

2005年のキャンプで、貢さん(左)と話しこむ原監督(右)。亡き父にも優勝の報告ができる

2005年のキャンプで、貢さん(左)と話しこむ原監督(右)。亡き父にも優勝の報告ができる【拡大】

 監督としての過去6度の優勝のどれよりも、苦しかった。信念を貫けたのも、最高の師でもあった最愛の父の教えがあったからだ。優勝インタビューで、こらえきれず涙を流した。

 「人生はチャレンジャー。正々堂々と勝負の道を進んでいこう」

 5月29日に他界した貢さんの生涯は、挑戦の連続だった。福岡・三池工を率いて、1965年夏の甲子園で初出場初優勝。炭鉱の街から飛び出し、東海大相模へ。新天地を目指す父に手を引かれ、当時8歳の辰徳少年は夜行列車に乗った。

 「なぜ、お父さんは神奈川に来たの?」

 貢さんは、真っすぐに息子を見つめた。

 「都(みやこ)で勝負したいからだ。もう一度、都で勝負したい」

 神奈川で優勝を決められたのも、父と勝利への思いの強さの表れだったろう。

 父の死後、東京・港区青山に墓を購入した。寝ても覚めても野球ばかりだった父のため、両端にはボール型の石を2つ置いた。法名は「熱球院釋貢勝(ねっきゅういんしゃくこうしょう)」。名古屋へ移動した22日、墓前で優勝を誓い、そのまま乗り込んだ横浜で、父との約束を果たした。

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