男泣き 原監督の目に涙。父の死、80年の重圧を乗り越え、7度目のリーグ制覇を果たした指揮官は、こらえきれなかった(撮影・森本幸一)【拡大】
ゆっくりと、原監督は歓喜の輪に向かって歩を進めた。午後9時19分。そのわずか2分前に、広島が敗戦。残されていた優勝マジックの「2」が、最後の最後であっけなく消えた。高校時代から父と頂点を目指した神奈川、横浜の夜空に、その体が8度舞った。
「本当に長く、険しく、大変なシーズンでした。しかし、全員団結して、もがき、汗をかき、知恵を出しながら、よく頑張ってくれました」
球団創設80周年。最も歴史が長い巨人が、また新たなページを記した。6月8日に首位に立つと、広島、阪神に何度も詰め寄られながら、一度も譲らなかった。追いすがられては突き放し、優勝が決まったこの日、2位・広島に7ゲームもの大差をつけた。
だが横綱相撲、ではなかった。亀井、高橋由、内海、菅野…。故障者が続出し、強力打線は低空飛行。セの打率10傑に巨人選手の名前はない。
「動の采配」を貫いた。若大将も56歳。近眼と老眼を補うために使用するコンタクトレンズを通して、選手の好不調を見極めた。137試合で106通りものオーダー。1995年の現役引退時に「何人も侵すことのできない聖域」と語った4番には、なんと7人を試した。「動きすぎ」の批判をはね返し、最良の決断を続けた。