まさに大女優だ!!“りえママ”こと、最愛の母・光子さん(享年65)を肝腫瘍のため23日に亡くした宮沢りえ(41)が25日、舞台「火のようにさみしい姉がいて」(9月6~30日、東京・Bunkamuraシアターコクーン)の舞台に上がり、報道陣の前にも姿を見せた。ステージでは母の死からわずか2日後とは思えない堂々とした演技を見せ、駆けつけた報道陣には言葉こそ発しなかったが、ほほ笑みながら会釈。不屈の女優魂を存分に見せつけた。
ステージママとして知られ、“一卵性母娘”とまで言われた光子さんを肝腫瘍で亡くしてから、わずか2日。この日も宮沢は、蜷川幸雄氏の演出する舞台のステージに上がった。
24日は当初から公演がなかったため、最愛の母が亡くなって最初の舞台となっただけに、精神的には相当きつかったに違いない。しかし、前売り券が完売。当日券を求めて長蛇の列ができるほどの盛況な舞台で、精神的にブレることなく普段通りに役を演じ切ってみせた。
宮沢は、11歳の芸能界デビューから光子さんと二人三脚で厳しい世界を生き抜いてきた。宮沢が1987年に「三井のリハウス」のCMなどでブレークすると、90年にはデビュー当初から所属していた事務所を光子さんの命で辞めて独立。普通なら芸能界の圧力に押し潰されてしまいそうな宮沢を、光子さん自らマネジャー兼プロデューサーとなって守ったのは本紙昨報通りだ。
幼いころは光子さんに女手ひとつで、保険の外交員やヤクルトレディーをしながら育ててもらった。芸能界入りしてからも剛腕を発揮して一寸先は闇の世界で一人前にしてくれた光子さんの人生は、宮沢にとって「生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値」が凝縮されたものに映ったに違いない。
昨年5月には天海祐希が心筋梗塞を患って舞台「おのれナポレオン」を降板した際、わずか2日半の稽古で代役を引き受け見事に務め上げた宮沢の女優魂は、光子さんによって養われたものと言えるだろう。
さらに、この日も悲しみを感じさせることなく見事に演じきった宮沢。言葉こそ発しなかったものの報道陣に一切悲痛な表情を見せず、ほほ笑みながら会釈をして気丈に振る舞った。
「たとえ親が死んでも舞台を務めるのが役者の宿命とはいえ、男の俳優でも簡単にできることではない。まして宮沢の場合は“一卵性母娘”だったのだから…一般的な親子よりも絆はずっと強かったはず。なのに、普段通りの演技をキッチリやってのけたのだから、もはや宮沢りえは大女優の仲間入りをしたと言える」(舞台関係者)
宮沢は、りえママが日本演劇界に残した唯一無二の遺産と言っても過言ではなさそうだ。
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