「それでねールル、そしたらいきなりバシン! って引っぱたいてきたの。怖かった……ひどいよね」
牛乳パックでこしらえた小さなテーブルを挟んでの、私とルルの朝食。
私は織牙に言ったのと同じことを、妹のルルにも愚痴っていた。
その結果はといえば、
「お姉ちゃんが……なにかその人の気に障ることしたのかもしれない」
と、こんな感じ。
冷淡に食を進めながら、ボソッと、優しくない言葉を吐いてくるの。
だからこそ私はああいう愚痴を、ルルよりもずっと先に織牙に話すことに決めている。
「もーう冷酷ルルぅ……、かけた言葉っていえば、〔どうもありがとう〕〔器用なのね〕〔尊敬しちゃう〕〔お名前は?〕その四つだけよ。それも、とっても気さくに」
「気さくに言葉をかけること自体が、気に障ることもある」
常に箸を進めているのに、よくタレントとかアイドルが〈食べながらコメント〉するときみたいな、だらしないモゴモゴ喋りにならないのが、この妹の性格をよく象徴していると思う。
このルルっていう子は、どっちかっていうとフランスっぽい、ツンとした大きな瞳が印象的で、その異様な色白さも西洋感に拍車をかけている。
「わかってるよぉ。でも、私とは住んでる世界が違うんだなとか、思ったりして」
聞き分けのない私を見かねたように、とうとう箸を置くルル。
「そういう気持ちそのものが、うっとうしいこともある……。私だって、そう……」
私もはたっと、ピラフを口に運ぶ手を止めた。ルルが缶詰と残りご飯でこしらえた格安のピラフ。
「ごめんルル……」
いっぽうルルは食事を再開して、暗い声のお説教を続けてくる。
「その人の心に分け入りたいと思っているなら、その相手が心地よいって思えるような気遣いが必要。さもないと、ただ嫌われるだけ」
そしてルルは雑草サラダを綺麗に完食すると、
「ごちそうさまんこ」
と危険な言葉を吐きながら箸を置いた。
雑草とはいっても、きちんと本を読んで安全なものを選んで、私が取ってきたもの。
食事の絶対量も少ないけど、そこはまあ元々、二人ともかなり小食なほうだから助かっている。
この部屋、越してきてすぐは剥きだしの裸電球がブラブラ揺れていたけど、そこに洗練されたガラスの傘を付けたことで、貧乏臭さが大幅に和らげられていると思う。
その水色の擦りガラスでできた傘は、ルルが選んだもの。
狭い部屋を見回せば目に入る、品のいいバスケットも小棚もゴミ箱も、みんなルルが新聞紙とかチラシとかで生み出した作品。
牛乳パックのテーブルもそうだけど、みんなそれと言われなければ、すべてがゴミで造られたものだなんてわからないレベル。
そのぶんルルの私服がうるおうことになるというわけ。
まあ、うるおうっていっても、寝間着がそれぞれ二着ずつに、制服のある私は私服が一着、ルルはゴシックロリータ衣装が二つっていう、必要最小限のものだけどね。
その結果、ルルは〈真っ黒なゴスロリ衣装に身を包んだ貧乏娘〉なんていう不思議な肩書きを持ってしまう結果に……。
どっちにしても私は、ルルがイモ臭いシャツやたるんだトレーナーを着て暮らすのを見るよりは、雑草を食べたりバイトに青春を喰われるほうがずっとマシだって、思ってる。
ただ、私が稼いでルルが女房役をやっている、今の生活……
ルルはもっと遊びたい時期だろうに、なんだか可哀そう。
でも、お父さんの遺産で裕福に暮らすお母さんの元へ戻れば、この子にもっとつらい想いをさせてしまうことになるの。
噂をすれば(っていうか、今の私は頭で考えただけだけど)、母親からは滅多にかかってこない電話が鳴る。
「もしもし」
[もしもし。お母さんだけど、ちゃんと食べて暮らしてる?]
「心配しないで。そっちにいた頃よりはずっと楽しくやってるから」
──こうしてまた、冷酷ルルならぬ、冷酷橙花が出てくる。
それはそう……昨日、あのお婆さんを怒ったときとまったく同じように。
[…………。四月の、三度目の日曜ね。ホームパーティをすることになったから]
「私とルルが出ると思ってる?」
これもまた、いつもより1オクターブは低い声を出す私だけど、こんなときもただ黙々と、後頭部の三つ編みを編んでくれるルルの手の温もりが、この心が凍りつくのを防いでくれているの。
[いくら払えば出てくれるかしら?]
臆面もなく、お腹を痛めて産んだ娘にこういうことが言える母親が怖い。
「二十万」
腹の立った私は法外な金額を要求したつもり……だったけれど、
[あら、そんなはした金でいいの? それなら良かった。パーティに出てくれなかったら、不仲説が出回ってしまうもの~]
──この有様。
まあ、四月に二十万が入る、それは私とルルにとって大きな救い。
私はさっさと電話を切りたくて、話の総括に入る。
「じゃあ、四月にね」
[待って橙花! パーティのときに気をつけてほしいことがあるの]
「なに……?」
気だるく訊くと、母はもう必死で、これまで何度も私に言ってきた言葉をレコーダーみたいに繰り返すの。
[私たち親子が離れて暮らしているのは、あくまでもルルの転校先が遠かったから──いいわね? お金は全部うちのほうで支援してる──いいわね? 橙花がバイトをしているのは、自分の夢の資金のため──いいわね? うちは、親子の心が通い合った上で別々に暮らしてる──いいわね? そういうことにしておいてくれないと世間体が]
母が言い終わる前に、シャッターを落とすみたいに私は返事をする。
「わかってる。パーティでも知り合いさんに会ったときも、そういうことにしておくから」
[ならいいわ。あと、ルルの生活費の仕送り額も、増やしてほしかったらいつでも言ってくれていいのよ。なんなら橙花のぶんの生活費も払うのに。それから、ルルの養育費として一括であげたあの五百万は使ってる?]
……使えるわけないでしょ。
父を
殺した母のお金なんて、強盗殺人でもして手に入れたお金みたいなもの。使えるわけない。
「…………使ってる。仕送りの額は今のままでいい。じゃあ、学校あるから」
がちゃん、と手荒に受話器を置く私。「おまたせ」とルルを振り向くと、彼女から意外なご指摘。
「織牙姉ちゃんから聞いた。お姉ちゃん、お婆さん相手に取り乱したそうね」
「うっ……」
少女のネットワークってすごい。
織牙はルルを猫っ可愛がりしてるわけで……。
「お姉ちゃんは、相手の立場に自分が立って物事を考えられない、そんなイマジネーションのない人間が嫌い──それは、お姉ちゃんの心が綺麗な証拠」
ルルは小さな体で、座った私の体を抱き締めてくれた。
──私がルルを抱き締めるのとはちがう、あどけなくって透明な抱擁。
やっぱり彼女は子供なんだ、守らなきゃ……って、思った。
ませた言動も、諦観したような表情も、みんなみんな、押しつけられてきた苦しみを自分なりに処理しようとしてるうちに身についてしまった、いつわりの大人っぽさなんだって。
彼女は、まだ十歳の子供。
〔今度の学校ではイジメに遭ってない〕
それが今のルルの決めゼリフだけど、今度、ちゃんとこのこととも向き合ってみようって、心に決めている私だった。