誕生日って考えさせられるね、色々と
自分の誕生日(4月4日)に誕生日の活用方法という記事を書いたのですが、今回、自分が大切だなぁと思える方の誕生日に接して、改めて感じたことを書いていきたいなと。正直、食に関する記事よりも、自分の気持ちを伝えるものの方が好きな熊本です。(じゃあ、書くなよとか言わないで)
結構気に入っている記事なので、ぜひ読んで欲しい
珍しく良いことを書いている気がする。なので、読んだ上で、ぜひ活用して欲しい。自己啓発書やビジネス書同様に、何事も活用しないと無意味。
自分が生まれた時のことを想像して、改めて感じた両親への感謝の気持ち
熊本家は、父、母、兄、私、妹の5人家族。私が生まれる瞬間を、まだ生まれていない妹以外の全員と祖父母が楽しみにしてくれていたはず。また、私は初めての女の子だったので、一層楽しみにしてくれていたはず。
生まれてこれるって特別なことだし、幸せなこと
赤ちゃんがこの世に生を受けるだけでもとても特別なこと。全員が上手くいくわけではない難しい問題である。だからこそ、生まれてこれただけでも本当に奇跡だし、その奇跡に対して両親、特に母親に、またその母の手助けをしていた兄弟、家族には、一生涯感謝するべきだと思う。
愛する華のように育って欲しいので、名前は『愛華』
生後、両親から受けた数々の恩恵の中で1番感謝しているのが名前。正直、これ以上に良い名前はないとさえ思っている。自分の子どもが生まれたら、同じ名前を付けたいと思える程。
また、ありがたいことに「愛華ちゃんは名前の通りだね」と言っていただける機会が多い。こう育って欲しい像が両親にあって、それに私が自然と合ってきている。それこそ、両親に対する最大の恩返しなのかなとも思う。
兄弟は疎遠になりがちだけど、思い出してみて欲しい
うちは全員未婚だが、兄弟って不思議なもので、結婚すると当然の如く自分の家族が第一になるため、疎遠になってしまいがちだ。物理的に近い場合、助け合っている兄弟も多いとは思うが。
それって寂しいなって。両親同様に大切な存在なのに寂しいなって
私の場合、家族と離れて暮らしている分、会う機会は減った(毎日ただただLINEでスタンプを送り合うような感じで連絡を取っているが)。東京に来る2年前までの間、兄と2年間、妹と3年間一緒に住んでいたので余計に減ったように思う。
また、私は今後日本にいる限りは東京から出るつもりはないので、兄弟と過ごす時間も、昔以上に多くは持てないのはほぼ確信を持てる。(やばい。急に寂しくなってきた。。)
昔は一緒にいて当たり前だったのにね
当たり前だった環境が当たり前じゃなくなり、その次の環境が自然と当たり前になるってちょっと怖い。慣れって怖いと同じこと。ただ、就職したり、引越したり、結婚したりと環境が変わるのは当たり前だし、逆に日々変化がないとつまらないと思うけど、なんだか盲点だった気がする。(変化が生む良し悪しは、要は自分次第だと思う)
大人になって、よそよそしくなっている兄妹はぜひ昔を思い出してみて
環境が異なれば、人の考え方や気持ちは変わっていく。その中で、無意味に気を遣ってしまっている気がする。家族は特別だからこその特別な気遣いになっているとも思えるけど、その気遣いって必要なのかなって。お互いがお互いの壁を作ってしまっているんじゃないかなって。原因は、大人になって次第に強くなる見栄もしくは見栄なのかなと。見栄があるから恥を思う気持ちが出てくる気がする。昔と同様に接するのは本来そんなに難しいことじゃないはず。以下、SNS全般のカバー写真に使用しているお気に入りの写真。実家にも妹の下宿先にも飾っているよ。
私がそうだった、壁を作ってしまった時期があった
2年前に東京に来て、以前とは違い、慣れない環境であった上になかなか多忙な日々を送っていた。兄や妹から贈ってもらえる日々のあほな連絡に対して「要件はまとめて連絡して」などと言っていた気がする。その結果、連絡量は一気に減った。悲惨な程、器小さかったなぁ、自分って思う。あの頃はほんまにごめんね。ビジネスライクに生きすぎていた。
でも、変わろうとして変わった結果、少しは元の関係に戻れた気がする
信頼関係のように、一度崩れたものを元に戻すのはかなり難しい。でも、心から戻したい気持ちがあるならば、謝罪の念と今までの感謝の気持ちと、今後も以前のように◯◯な関係を築いていきたいという素直な気持ちを相手に伝えた上で行動に起こし、この繰り返しをすることでいつか理解してもらえると思う。
感謝の気持ちを持てない人は、器が小さい=人間力が高くない傾向にある気がする
正直、私は愛情の器の大きさには自信がある。これは本当に両親、家族のおかげである。そして、最近一層強くなった気がする。確信はないが、自覚するようになったからかなと。だが、以前はそうでもなかったように思える。それは感謝の気持ちが今より少なかったからだ。だから、器もミジンコ並で相手を受け入れるのに時間もかかったし、今では高いねと言っていただけるようになった人間力も、一切誇れるものではなかった。
結論、両親だけじゃなくて兄弟にも感謝する日だなって
少し話は逸れたが、私の場合、父が忙しかったので、兄が第2のぱぱ的存在だった。今回重要なことに気付いた。両親には毎年産んでくれてありがとう、と手紙を書いているのだが、兄や祖父母に対して、ありがとうは伝えられていなかったなって。とてもお世話になっていたのに、感謝の気持ちを忘れていたなって。お兄ちゃん、ごめんね。ありがとう。大好きだよ。
因みに、兄妹とは違い学歴が低い分、そこに対するコンプレックスが強かった
私は3兄妹の中でも、1番お金がかかっていて(大学が私立だったから)お金をかけてもらっている割に大学の経歴は良くない(申し訳なさでいっぱい)。父と兄、妹が京都大学で、世間一般的に見て優秀だからこそ一層感じている。妹に関して言うと、家族や親族の中で1番賢いのは妹だと、兄が言う程頭が良い(私同様に変な子だが)当然ながら兄妹のことは誇りに思っているが、私の中では学歴に対するコンプレックスが根強くあった。
が、見栄を取っ払うと、別の生き方だし、いいっかと多少思えるようになってきた
同じ兄妹でも、思考は異なっているし、だからこそ生き方は異なる。自分は自分でいいのかな、自分が生きたい環境で1番になれればいいのかなと、26歳にして漸く最近思えるようになってきた。きっと今まではなにかしら無駄な見栄があったからなんじゃなうかと思う。見栄ってある程度は必要だけど、重要ではない気がする。背中を後押ししてくれるものならいいけど、足を引っ張るようなら要らないはず。まぁ、両親から言われている言葉に救われているのもあるね。「愛ちゃんは兄妹の中でも1番生命力があると思うし、自慢の娘だよ」って。うん。生命力はあると思う。ゴキブリ並みに(あ、ここ笑うとこね)
まとめ
家族や兄弟、友達、周りの方々に対して、最初は意識的にでも感謝の気持ちを込めて接してみて欲しい。いつかそれが無意識の領域に入れば、愛情力、人間力が高まっているのではないかと(意識の無意識化と呼んでいる)
みんなの幸せの輪が広がって、世界中が幸せになりますように。ちゃんちゃん。