慰霊碑:抑留日本人の叫びを伝えたい…シベリアに建立

毎日新聞 2014年09月24日 15時30分(最終更新 09月24日 16時01分)

ロシア・シベリア北部のノリリスク市
ロシア・シベリア北部のノリリスク市

 【モスクワ田中洋之】ロシア・シベリア北部のノリリスク市に日本人抑留者の慰霊碑が建立されることになり、10年近く実現に尽力してきた東京都八王子市の渡辺祥子(さちこ)さん(72)が23日、現地を訪れた。父がノリリスクで抑留され死亡した渡辺さんは「日露の友好と戦争のない未来に向けたメッセージになれば」と話している。

 樺太(サハリン)で両親と暮らしていた渡辺さんは、第二次大戦終結翌日の1945年8月16日、樺太庁財務課長だった父・良穂さんを残し、母・智津子さんと本土に引き揚げた。生き別れた父は抑留先のノリリスクで50年に病死していたことが判明し、90年に母と現地を初めて訪問。その母も2002年に亡くなり、04年にノリリスクを再訪して市内の慰霊広場に母の遺骨を埋めた。

 このあと「慰霊碑を建てたい」という生前の母の願いをかなえようと思い立ち、ロシア語を学んで関係先への働きかけを始めた。ニッケル産地のノリリスクは今も自由に立ち入りできない閉鎖都市だが、スターリン時代の政治弾圧の告発に取り組む歴史博物館のスレサレワ館長の協力を得て、今年7月上旬にようやく市長の許可が出た。

 慰霊碑は高さ180センチ、幅80センチのコンクリート製で、金属のプレートに「生存の権利」という題字を刻む。碑文には「吹雪の向こうから聞こえてくる日本人抑留者の声に耳を傾け、痛みや苦しみが二度と繰り返されることがないよう行動し生きていきます」と日本語とロシア語で記す。碑は土台部分が着工済みで、10月中に完成する予定だ。

 北極圏にあるノリリスクには戦後、約350人の日本人が抑留され、うち半数が極寒や重労働で死亡したとされる。父と母が眠るノリリスクを10年ぶりに訪れた渡辺さんは「慰霊碑の夢がかない、涙が出た。世界で今も続く紛争やテロをなくすため、抑留者の叫びを次の世代に伝えていきたい」と語っている。

最新写真特集