速水健朗さんがチェッカーズについて書いてるのを読んで思いだした。ぼくが同時代好きでよく聞いていたのは爆風スランプだった。彼らの2枚目のアルバム『しあわせ』だ。
このアルバムにぼくがシンパシーを感じる理由は、収められた曲の多くが東京に対する複雑な思いを歌っている点にある。10曲中(バンド紹介ソングであるボーナストラックを含めれば11曲)4曲が何らかの形で東京について歌っているのだが、どれも一筋縄ではない。後に往年のファンからすると安易な青春ソングを歌うバンドに「堕落」してしまう彼らだが、この時期の曲はどれも爆風スランプらしい諧謔に彩られている。東京に対するスタンスも同様だ。
あからさまなのは『せたがやたがやせ』だ。
タイトル通り、世田谷を耕す歌だ。おそらく「せたがや」のアナグラム「たがやせ」を思いついて作った曲だろう。でもテニスコートを耕して田んぼにしてやる、というあたりにおしゃれ世田谷ブランドに対するやっかみが現れていて面白い。地形的にはかなり用水を整備しないと田んぼにするのは難しいだろうけど。するんなら畑だな。
そして『おしゃれな東京タワー』はもっとストレートだ。東京のシンボルに対して「俺たちお前なんかきらいだよー!」と歌う。
■千葉と爆風スランプ
収められた曲の作詞をしているのはボーカルのサンプラザ中野とパッパラー河合だが、実はふたりはぼくと同じ千葉出身だ。正確にはサンプラザ中野は甲府生まれだが、高校は東葛高校。地元の人間なら知っているが、県有数の進学校である。
一時期ネットで、地方格差と上京ネタが流行ったが、ぼくはあれに苦々しい思いを感じていた。というのは、千葉北西部の人間に「上京」はないからだ。銀座まで地下鉄東西線と銀座線乗り継いで30分あまり。でも都会でもない。大学生になるまで渋谷は行ったことがなかった、という実に微妙な状態で青春をすごした身からすると上京物語は苦々しい。もちろん盛んに語られていた、本当の地方における悲哀とは比べものにならないだろが、それでも思うのは自分のパーソナリティを上京と結びつけすぎじゃないか、ということだ。ぼくが団地マニア・工場萌えなんかになっちゃったことも、上京と結びつけられればもっと分かりやすく折り合いがついただろうに、とときどき思う。千葉っ子には自分の鬱屈とした部分を肩代わりさせることができる便利なツール「上京」がない。この点で埼玉県南部民と連帯できると思う。神奈川?横浜を擁するあいつらは敵だ。
そういう千葉っ子(北西部)の東京に対する複雑な思いが、爆風スランプの曲にはよく現れていたと思うのだ。それを考えると「サンプラザ中野」の名前すら気が利いている。デビューのきっかけになったヤマハのアマチュアバンドコンテスト(ちなみに高校生の時ぼくも出場した。黒歴史である)の開催地が中野サンプラザであったことからきているのだが、渋谷でも新宿でもなく中野っていうところがいい。西船橋の反対側、地下鉄東西線の終点である。
■爆風スランプがコミックバンドでなくなった曲
速水さんが好きだというチェッカーズを、ぼくがあまり好きになれなかったのも同じ理由かもしれない。彼らはあまりに「上京」すぎるのだ。ちなみに妹はチェッカーズの大ファンだが、どこらへんに魅力を感じていたのだろうか。こんど聞いてみよう。
チェッカーズの上京と成功を戯画化した映画『TAN TAN たぬき』とこの『しあわせ』のリリース年は同じ1985年。ちなみに吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』は前年の1984年だ。同じ時期に三者三様の「上京」が描かれている。興味深い。
さて、残り2曲がまたおもしろい。ひとつは『1800』。歌詞を見ると分かるが、これはカリカチュアライズされた江戸文化を歌った曲。80年代コミックバンドらしいどこまで本気なのかわからない内容だが、最後に地震がきて終わる、というあたりにいろいろ感じざるを得ない。
で、最後。問題の『大きな玉ねぎの下で』。武道館を舞台にしたペンフレンド(懐かしい響き)との失恋の物語だが、この曲だけは真顔だ。かろうじて武道館の屋根の上に載っている擬宝珠を「たまねぎ」と表現するぐらいのひねりを残して。当時コミックバンドがこういう一曲だけラブソングを歌うのはよくあることだった。
後にコミックバンドであることをやめつつあった爆風スランプが自らストレートなラブソングとしてこの曲をリメイクする。この時を境にコミックバンドとしての爆風スランプを支持していたファンが遠ざかり、ややアナクロな暑苦しい青春を歌うバンドとして別のファンがつくようになった。バンドとして売れ、千葉っ子として東京に対する複雑な思いを忘れてしまったときに、爆風スランプはコミックバンドでなくなってしまったのだ。
ただ、リメイク版『大きな玉ねぎの下で』が収められたアルバム『I.B.W.』には千葉県の柏を歌った『KASHIWAマイ・ラブ〜ユーミンを聞きながら〜』は千葉的に名曲。松任谷由実の「埠頭を渡る風」と「中央フリーウェイ」へのオマージュだといわれるこの曲、ユーミンの曲が徹頭徹尾「ザ・東京」なのに対して、柏。歌詞を読むと分かるが、柏を舞台に恋が終わる物語なのだがすばらしいのは「春には故郷に帰る人」とある点。つまりこの人は「上京」して柏に来てたのだ。これってすごくリアルな上京だ。就職して東京に勤めている人がみんな都内に住んでいるわけではない。柏や西船橋ってこともあるだろう。すばらしい。
【追記】
なによりデビューシングルの「週刊東京『少女A』」が「上京」の歌ではないか、というご指摘を頂きました。そうだった!そうそう!
「黄色い電車で週に一度の上京」っていうのとか、まさに。これ総武線だよね。まさに我々千葉北西部の人間にとっての「上京」とは日曜日に表参道に行くことを指しているのだ。あと市外局番が0473だったことへのどうでもいいコンプレックスとか、ちゃんと歌われている。爆風スランプ、そろそろちゃんと論じられるべきだと思う。
【さらに追記】
時代が下ると、千葉っ子(津田沼)は東京への複雑な思いなどなくしてしまう、という話。なるほどなー。
このアルバムにぼくがシンパシーを感じる理由は、収められた曲の多くが東京に対する複雑な思いを歌っている点にある。10曲中(バンド紹介ソングであるボーナストラックを含めれば11曲)4曲が何らかの形で東京について歌っているのだが、どれも一筋縄ではない。後に往年のファンからすると安易な青春ソングを歌うバンドに「堕落」してしまう彼らだが、この時期の曲はどれも爆風スランプらしい諧謔に彩られている。東京に対するスタンスも同様だ。
あからさまなのは『せたがやたがやせ』だ。
タイトル通り、世田谷を耕す歌だ。おそらく「せたがや」のアナグラム「たがやせ」を思いついて作った曲だろう。でもテニスコートを耕して田んぼにしてやる、というあたりにおしゃれ世田谷ブランドに対するやっかみが現れていて面白い。地形的にはかなり用水を整備しないと田んぼにするのは難しいだろうけど。するんなら畑だな。
そして『おしゃれな東京タワー』はもっとストレートだ。東京のシンボルに対して「俺たちお前なんかきらいだよー!」と歌う。
■千葉と爆風スランプ
収められた曲の作詞をしているのはボーカルのサンプラザ中野とパッパラー河合だが、実はふたりはぼくと同じ千葉出身だ。正確にはサンプラザ中野は甲府生まれだが、高校は東葛高校。地元の人間なら知っているが、県有数の進学校である。
一時期ネットで、地方格差と上京ネタが流行ったが、ぼくはあれに苦々しい思いを感じていた。というのは、千葉北西部の人間に「上京」はないからだ。銀座まで地下鉄東西線と銀座線乗り継いで30分あまり。でも都会でもない。大学生になるまで渋谷は行ったことがなかった、という実に微妙な状態で青春をすごした身からすると上京物語は苦々しい。もちろん盛んに語られていた、本当の地方における悲哀とは比べものにならないだろが、それでも思うのは自分のパーソナリティを上京と結びつけすぎじゃないか、ということだ。ぼくが団地マニア・工場萌えなんかになっちゃったことも、上京と結びつけられればもっと分かりやすく折り合いがついただろうに、とときどき思う。千葉っ子には自分の鬱屈とした部分を肩代わりさせることができる便利なツール「上京」がない。この点で埼玉県南部民と連帯できると思う。神奈川?横浜を擁するあいつらは敵だ。
そういう千葉っ子(北西部)の東京に対する複雑な思いが、爆風スランプの曲にはよく現れていたと思うのだ。それを考えると「サンプラザ中野」の名前すら気が利いている。デビューのきっかけになったヤマハのアマチュアバンドコンテスト(ちなみに高校生の時ぼくも出場した。黒歴史である)の開催地が中野サンプラザであったことからきているのだが、渋谷でも新宿でもなく中野っていうところがいい。西船橋の反対側、地下鉄東西線の終点である。
■爆風スランプがコミックバンドでなくなった曲
速水さんが好きだというチェッカーズを、ぼくがあまり好きになれなかったのも同じ理由かもしれない。彼らはあまりに「上京」すぎるのだ。ちなみに妹はチェッカーズの大ファンだが、どこらへんに魅力を感じていたのだろうか。こんど聞いてみよう。
チェッカーズの上京と成功を戯画化した映画『TAN TAN たぬき』とこの『しあわせ』のリリース年は同じ1985年。ちなみに吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』は前年の1984年だ。同じ時期に三者三様の「上京」が描かれている。興味深い。
さて、残り2曲がまたおもしろい。ひとつは『1800』。歌詞を見ると分かるが、これはカリカチュアライズされた江戸文化を歌った曲。80年代コミックバンドらしいどこまで本気なのかわからない内容だが、最後に地震がきて終わる、というあたりにいろいろ感じざるを得ない。
で、最後。問題の『大きな玉ねぎの下で』。武道館を舞台にしたペンフレンド(懐かしい響き)との失恋の物語だが、この曲だけは真顔だ。かろうじて武道館の屋根の上に載っている擬宝珠を「たまねぎ」と表現するぐらいのひねりを残して。当時コミックバンドがこういう一曲だけラブソングを歌うのはよくあることだった。
後にコミックバンドであることをやめつつあった爆風スランプが自らストレートなラブソングとしてこの曲をリメイクする。この時を境にコミックバンドとしての爆風スランプを支持していたファンが遠ざかり、ややアナクロな暑苦しい青春を歌うバンドとして別のファンがつくようになった。バンドとして売れ、千葉っ子として東京に対する複雑な思いを忘れてしまったときに、爆風スランプはコミックバンドでなくなってしまったのだ。
ただ、リメイク版『大きな玉ねぎの下で』が収められたアルバム『I.B.W.』には千葉県の柏を歌った『KASHIWAマイ・ラブ〜ユーミンを聞きながら〜』は千葉的に名曲。松任谷由実の「埠頭を渡る風」と「中央フリーウェイ」へのオマージュだといわれるこの曲、ユーミンの曲が徹頭徹尾「ザ・東京」なのに対して、柏。歌詞を読むと分かるが、柏を舞台に恋が終わる物語なのだがすばらしいのは「春には故郷に帰る人」とある点。つまりこの人は「上京」して柏に来てたのだ。これってすごくリアルな上京だ。就職して東京に勤めている人がみんな都内に住んでいるわけではない。柏や西船橋ってこともあるだろう。すばらしい。
【追記】
なによりデビューシングルの「週刊東京『少女A』」が「上京」の歌ではないか、というご指摘を頂きました。そうだった!そうそう!
「黄色い電車で週に一度の上京」っていうのとか、まさに。これ総武線だよね。まさに我々千葉北西部の人間にとっての「上京」とは日曜日に表参道に行くことを指しているのだ。あと市外局番が0473だったことへのどうでもいいコンプレックスとか、ちゃんと歌われている。爆風スランプ、そろそろちゃんと論じられるべきだと思う。
【さらに追記】
時代が下ると、千葉っ子(津田沼)は東京への複雑な思いなどなくしてしまう、という話。なるほどなー。
@sohsai @mitakasound 爆風スランプは全盛期を知ってますが、上京と照らし合わせるには、自分の年齢が若すぎたかもしれません。東京と自分の関係を自覚した頃は、ゆずのフォロアーたちが全盛期で、地元完結型のアーティストが流行ってたかもしれません。奥華子とか。
— みやほ (@miyaho) September 24, 2014