ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

物事を続けるためには?「目標」と「義務」と「習慣」と

http://www.flickr.com/photos/72098626@N00/3049152556

photo by Ed Yourdon

 

 何か新しく物事を始めようとしたときに、多くの人が直面するだろう問題がある。

 

 いわゆる、「三日坊主」問題。

 

 僕もこの坊主にはよくお世話になっているというか、ハッと気づいたらいつの間にか背後にいる、恐ろしい坊主さんでございます。

 

 「よし!今日からやるぞ!」の1日目、影も形もない。

 「今日もちゃんとやった!」の2日目、何か禿頭の幻が見える。

 「うんできた。明日もやる」の3日目、背後に頭の丸いヒトガタが。

 

 ちくしょう、お前はメリーさんか*1

 

 そんな憎っくき坊主を退散させるためには、どうすればいいのかしら。

 続かない物事を、続けるための方法について、自分なりに考えてみました。

 

 

当たり前で基本的ながら効果的な「目標設定」

 小・中・高校では、よく「目標」を立てさせられたようなイメージが強い。

 

 一年間の目標とか、学期ごとの目標とか、テストの点数の目標とか。個人個人の目指すべき段階を「宣言」として可視化し、教室内に掲示していたような記憶もある。だいたい、似たり寄ったりだったけど。

 そうやって、いつも目に見えるところに自分の「宣言」があることで、一定の効果が見られる場合もあると思う。嫌でも思い出されてしまうので、「やらねば!」と奮起させられる形。やらねば。続けねば。達成せねば。ねばねばねばねばねば。織田裕二*2

 

 でもこれ、しばらくするとその場にあるのが当たり前になって、効果が薄れてくる人も多いんじゃないかしら。はい、僕です。完全にインテリアと化してしまったような。下手くそな筆文字で「彼女作る!」なんて貼ってあっても、全然オシャレじゃない……。

 

 僕の前の職場が、まさにこんな感じでした。いや、彼女じゃなくて。営業職なので、営業所全体の目標(ノルマ)と、個人の目標設定がデカデカとオフィスの各所に貼られている格好。

 

 正直なところ、ただ形式的にそうしているだけで、実際にそれが目標達成・成績向上に結びついていたかは怪しく思える。

 そもそも設定の時点で、「いやいや、その数字は小さすぎるでしょー。やる気あるん?」と、結構むちゃくちゃな目標を書くように強いられていたので。自分で考えた目標でなく、しかも最初から無理だと分かってちゃ、逆にモチベーションは下がるんじゃありませんかね……。

 

 他方では、最近、こんな記事もありました。

 

元記事:How a password changed my life. — Medium

 

 パソコン起動時のパスワードを「宣言」として毎回入力させることで、自分に言い聞かせ、常に意識の片隅に置いておくことによって、成功へ繋げる形。

 面白い発想だし、「なるほど!」と思わされたけれど、これもしばらくすると「当たり前」になりそうな気がしなくもない。一時期は効果があっても、慣れてくるとただの文字列になっているような。でも、“刷り込み”的な効力はあるのかな……。

 

「習慣」化を目的とした場合の、手段としての「義務」化

 そんな「目標」を立てる以前に、まず「習慣」とすることを考えるケースもある。目標達成のための過程、活動そのものを、自分にとって「当たり前」とすること。食う寝る遊ぶと同様の、生活上の自然な行為に昇華させること。

 

 そのための方法として代表的なのが、物事の「義務」化だと思う。未来の実現可能性としての「目標」の“ねば”とは異なり、今現在、続け“ねば”ならないものとして意識し、実践すること*3

 

 例えば、「朝の7:00から8:00の間は英語の勉強をする!」という「義務」を自分で設定し、それを日々続けていくことで、いつの間にかそれが当たり前の「習慣」となっているような形が理想的。

 

 最初はイヤイヤ、あーだこーだと文句をTwitterでぶーたれながらやっていたものが、いつの間にか自分の生活に定着していた、と。

 それを始めるきっかけが自分の感情によるものだったり、何らかの目的があったりするものであれば、一定ラインを超えることで、それが自然な行為=「習慣」になるのでは。よっぽど嫌なことでない限りは。仕事だって勉強だって運動だって、みんなみんな生活なんだ習慣なんだ*4

 

最も単純で効果的かつ最強の動機:「楽しい」

 でも結局、そんな方法論よりも考え方よりも、自分から巻き起こる感情が最強なのだと思うのです。なのです。

 

 人間、楽しけりゃ進んで取り組むもの。

 

 小学生時代、“じゆうちょう”何冊にもわたってお絵かきをしていたのは、それが「楽しい」からだし、中学生時代、週末夜には空が明るくなるまでゲームに明け暮れていたのも、それが「楽しい」から。

 逆に、「つまらない」ことは進んでやらないし、むしろ逃げる。おかげで、僕の中学時代、初めての中間テストの英語の点数は54点。真面目系頭良いキャラで通っていた当時の自分の、初の勉強における挫折でござる。中一英語とか、「基本」しかないはずなのに……。

 

 そんな僕も、高校時代に毎朝、欠かさずNHKのラジオ英会話を「楽しんで」聴いていたところ、英語力がそこそこ伸びた模様。何の対策を取らずともTOEICスコアが650ほどになっておりました。やるじゃん、僕。54点の12倍だよ!わぁい!……わぁい?

 

 「習慣を身につける方法」なんてライフハック系の記事や本をたまに目にすることもあるけれど、具体的な方法論として、万人に最適の方法はないんじゃないかとも思う。

 「目標」の設定によって、いとも簡単に習慣化できる人もいれば、自らに「義務」として課すことで、ようやく続けられるようになる人だっているでしょうし。

 

 でもそれらよりも何よりも、純粋に「楽しいかどうか」という根っこの感情の部分が、一番大きいし効果的なんじゃないかと、僕は思います。

 そして、そのために「楽しめる」工夫ができるかどうか。自分が何を「楽しい」と感じるかを知っていれば、その辺りはやりようがあるんじゃないかと。そう考えると、何でもかんでも「自分化」して、楽しめる人はマジ最強っすね。いつもいつでも楽しそうだし、経験も増える一方。

 

 誰かの話す方法論よりも、自分のよく知る「楽しさ」を考えて応用する方が、うまくいくし長続きしそうじゃありません?ブログだって、自分の好き勝手に楽しめる書き方、投稿頻度にした方が、長く楽しめるんじゃないかしら。

 

 あなたにとって、僕にとっての「楽しい」は、どんなものだろう? 

 

  

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

 

*1:メリーさんの電話 - Wikipedia。関係ないけど、この解説の「基本のオチを踏襲したジョーク」が面白い。

*2:Love Somebody - Wikipedia

*3:ここで言う「義務」は、社会的・法的などの「義務」ではなく、自分自身に課す「設定」的な考え方として。

*4:手のひらを太陽に - Wikipedia