2014-09-24

人間の成長は20歳ごろには止まるというが

だったら「成長できる職場です」というのは一体全体どういう職場なのか。

別に日本語の乱れをどうこうしたいわけではない。

言葉に付随するイメージを援用するためにあえて比喩的に用いる行為も、うまくやってのけられたなら賞賛に値する。

文句があるとすればその程度の詐術社会丸ごと引っかかる馬鹿さ加減のほうだ。

成長という言葉は発育という言葉ほとんど同義で、組織の不可逆的な大きさの変化、複雑化のことを表している。

人間身長20歳を迎えるころには既に変化しないものだし、したとしてもそれは遺伝的な要因だろう。思春期バスケやったら身長伸びるとかじゃあるまいし、仕事場でどうこうなるものなわけがない。

こういうことを言うと、精神的に成長してるだのなんだのという反論が当然出てくるだろう。

しかしながら脳組織は体よりも成長が早く年齢一桁代で八割方完成しているものだし、経験あくまでも経験である。処理プロセス最適化を成長と言い張られても困る。私のパソコンが毎週金曜の夜に成長していることになる。前よりだいぶ遅くなってるのに。

まあ、新しいことを覚える、というのが成長というなら一部は認める。泳ぎ方とか自転車の乗り方とか、一度習得したら二度と忘れないのに関してはそうかもしれないが、エクセルの使い方なんぞ私自身前に覚えたが、使う機会がなかったのでもう忘れてしまった。

つまるところ要するに、巷で言われている成長というのは、周囲の環境に合わせての可逆的な変化、つまり適応のことを言い換えてるだけなのだろう。

お仕事を通して自身適応できる職場です!」というわけだ。

そりゃあまあ郷に入っては~とは言うし、社会生活を送る以上はあるていどの適応はやむをえない。しか適応するのは大抵その環境が好ましいから、という理由であって、適応するために環境を選ぶなど、よほど実験的な目論見でもない限りやることじゃないのではなかろうか。

適応を前提とするというのは、あなた人間性がこの職場に合っていようが合っていまいが一律に部品として矯正しますね、と宣言しているに等しい。

はっきり言ってそういう不合理で不愉快環境適応する気はさらさらない。

さて、野垂れ死ぬまで後何年?

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