1959年9月26日、史上最強クラスの伊勢湾台風が和歌山県に上陸し、近隣県に高潮などで大きな被害をもたらして5000人を超える死者・行方不明者を出した。それからまもなく55年。相変わらず台風や前線による豪雨で死傷者が出る。伊勢湾台風襲来時に名古屋地方気象台で予報官を務め、その後テレビの天気キャスターに転じた島川甲子三氏(90)に当時の教訓や防災への心構えを聞いた。(聞き手は編集委員・気象予報士 安藤淳)
■直前まで晴れており、警告しても危機感伝わらず
――伊勢湾台風への警戒情報はどのように出しましたか。
「天気図から強力な台風が名古屋の西を通り、その東側一帯で猛烈な暴風や高潮の恐れがあると予想された。このため、名古屋地方気象台は9月26日午前10時に県庁や電力、鉄道、マスコミの関係者らを集めて説明会を開いた。暴風、高潮、波浪の警報を出す予定であることも伝えた。当時はファクスがなかったので、台風の予想進路や警報内容を書いた紙を直接渡したり、電話で説明したりした」
――和歌山県に上陸した26日午後6時ごろまで半日ほど、備える時間があったことになります。
「情報はほとんど人々に伝わっていなかったことが後からわかった。台風が通過して数日後、非常用として気象台に備えられていたバイクで、伊勢湾に面した三重県桑名市長島町付近まで3~4時間かけて被害状況を見に行った。途中、できるだけ学校や役場に立ち寄り、気象情報を事前にどう活用したか聞いて回ったところ、情報を受けたかはっきりしないというような答えばかりだった」
――なぜでしょう。
「説明会を開いた26日は土曜日で、官公庁などは半ドンだった。予報や警報の内容を書いた紙を担当者が職場に持ち帰っても、机の上に置いたままになったケースが多く、情報はそこで止まってしまった。また、午前中は穏やかに晴れており、悪天になると想像しにくかったので、気象台だけが騒いでいると思われてしまった。こんなに天気の良い土曜日に人を集めるとは何事だ、と文句を言う人までいた」
■今年も豪雨で多数の犠牲者、防災担当者が判断できる知識を
――70人を超える死者を出した今年8月20日の広島市の豪雨でも、気象情報や警報が活用されず避難勧告が遅れたといわれます。
「そのようだが、当時と違って今は雨の情報をいくらでも無料で得られる。インターネットで気象庁のレーダー・ナウキャストの画像を見れば、5分ごとの雨域の動きがわかる。前線がかかれば必ず雨は降るし、海上から次々に雨雲が入ってくるのも珍しいことではない。防災担当者が情報を理解できるだけの知識を持ち、レーダー画像などを活用できるようにしておくことが大切だ」
伊勢湾台風
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