915日付けのブログの「権限の強大な理事長やセンター長は、10年程度で変わる事が組織にとっては望ましい」という主張に対して、ハーバード大学の山形方人氏は、ツィッターで「ハーバード大学の学長は20年程度が基準となっており、日本では総長の任期が短く(例として、京都大学総長は5年)、リーダーシップが発揮しにくい」という意見を述べられていた。

 

 ハーバード大学の例の指摘を受けたので、全米の有名大学の学長Presidentの在職期間について少し調べてみた。ハーバード大学と並ぶ、Ivyリーグの名門、Yale大学では、前任者のRichard C. Levin氏が19年在職しているが、それ以前は14年間が第二次世界大戦後では最長であり、一桁の年数の学長もおられる(http://president.yale.edu/past-presidents)。Princeton大学では1213年くらいが標準であろうか(http://www.princeton.edu/pub/presidents/)。また、西海岸の名門Stanford大学は、現職のJohn Hennessy氏が14年と長いが、8年〜12年が普通である(http://president.stanford.edu/history/)。いずれにしても、ハーバード大学を含めて、これらの大学はすべて「私立」であることに注目されたい。

 

 米国の公立大学の代表格であるUniversity of Californiaに目を向けると、カリフォルニア大学発祥の地であるバークレー校のChancellorの在職期間は710年である(http://berkeley.edu/about/hist/chancellors.shtml)。調べていて、今回初めて知ったが、カリフォルニア大学の各大学のトップはPresidentではなくChancellorと呼ばれており、彼らはUCPresident(一人)から任命されるらしい。任命権を有する側のUC Presidentの在職期間は59年である(http://www.ucop.edu/president/about/past-uc-presidents.html)。UCと並ぶ州立大学連合のUniversity of Texas Systemでは、UCとは反対にトップがChancellorと呼ばれ、各大学にPresidentがいる。Chancellorの在職は8年程度であり(http://www.utsystem.edu/chancellor/former-chancellors)、UT の中心であるAustin校のPresidentは非常に短い人が多くいるが、長くても8年程度だ。

 

 結論からいうと、一般に米国の公立大学の学長の在職は5〜9年とあまり長くなく、一方、私立大学の学長の学長在職期間は1014年と長い。しかしながら、

ハーバード大学の20年というのは私立大学の中でも例外的であると言えよう。

 

 私立大学の場合は、その運営の基本は学生の授業料であり、また卒業生が中心となって大学を運営し、将来を考える。Presidentの在職期間が長くなって、活力やガバナンスが低下してもその責任は卒業生にある。一方、公立大学は、授業料以外に州からの補助金で運営されており、その補助金の資は税金である。運営においては私立大学よりもより「透明さ」が求められるし、州の財政事情や政治事情によって運営が大きく左右される。

 

 「研究」という行為は、「教育」と重なる部分もあるが、「自由(別の見方では「研究者の欲望」)」という点において「教育」とは相反する面もある。米国のように、国家や州といった税金で成り立つ公的組織からの支配を受けにくい私立大学が「研究」の中心となり、一方、「教育」は公的組織が中心的に担うというシステムは、「研究」と「教育」の両立のためには適している。一方、日本のように「「研究」は主に公的機関が担い、「教育」は主に私立大学が担う」という構図はあまり健全ではない。

 

 今回のSTAP事件を複雑にしている要因の一つは、理化学研究所が半公立機関、と言うより実質的にはほぼ完全な公立機関であることである。「自己(CDB)の研究の自由(研究資金の確保)の画策」がこの事件の背景にあったと言われているが、もしCDBが私立機関なら問題はもっと単純化されたであろう。小保方氏の再現実験も、その経費の主要な出所が税金でなければ、再現実験に反対する人はもっと少なかったであろう。

 

 リーダーの在職期間に話を戻そう。

 

 STAP事件の米国側の該当者であるChales Vacanti氏については、このブログでも述べたし、ブログに寄せられたコメントにもあるが、研究者としては「いかがわしい」感がある。しかしながら、「リーダー」に関する理解はそう誤っていないように思われる。Vacanti氏は12年間続けたブリガム&ウィメンズ病院の麻酔科の科長職を9月に退任した。その直前に病院の同僚に送ったとされるメールの一部は以下の通りである(Knoepfler氏のブログで公開: http://www.ipscell.com/2014/08/stap-news-from-harvard-vacanti-stepping-down-as-chair-going-on-sabbatical/

 

When I accepted the position in 2002, I anticipated serving as Chair for a period of 10 years, having a vision of what I hoped to accomplish during that time.  I approach the age of 65 next year having served as Chair of two anesthesia departments – UMASS then BWH – over the last two decades.  I have always felt that a leader is most effective during the first decade of service, after which time there can be diminishing returns on the energy invested in the challenges faced. I feel that is certainly true in my case, and that by this measure, I am two years past due in making this decision.

 

 「リーダーは最初の10年の職務の間が最も効率的であり、それ以降は、直面する課題に投資されるエネルギーに対して収穫逓減が起こる」(「収穫逓減」(diminishing returns)という言葉は経済用語)。

 

 Vacanti氏は麻酔科の拡充といった面では貢献したことは事実なのであろう。麻酔科の研究を紹介したHPに紹介されている研究者http://www.brighamandwomens.org/Departments_and_Services/anesthesiology/Research/default.aspx?sub=2&sub=1&sub=2)の研究費獲得状況をNIHHPhttp://projectreporter.nih.gov/reporter.cfm)で検索すると、ほとんどが研究費を獲得している。していないのはVacanti氏くらいのものだ。

 

 米国は研究者に「寛容」なところがあり、問題点があっても、それに勝るよい面があると、「研究者としては許される」という傾向がある。理研BSIの所長をされている利根川進氏がよい例であろう。

 

 利根川氏は免疫学でノーベル賞を受賞し、その後は脳研究へと転じた文字通り世界のトップ科学者の一人であるが、その行動は物議をかもすこともあった。特に2006年のPicower研究所の所長時代に、MITの他の研究所の採用面接を受けた女性研究者に、MITで職を求めないようにするいやがらせのメールを送ったことについては、MITの同僚教授から告発されている(http://tech.mit.edu/V126/N30/30tonegawa.html)。利根川氏は、その研究者と研究分野がかなり重なっていたが、その女性に「貴方がMITの(利根川氏とは別の)研究所に助教授として採用されても、私は貴方を助けること(mentor)はしないし、交流もしないし、私および私のグループは共同研究もしない」というメールを送ったらしい。その女性が助教授となることによって、「利根川氏の所属するPicower研究所とその女性の研究所の関係も悪化するだろう」といったことも述べている。

 

 もしこれが日本で起これば、STAP事件並みの大騒ぎとなり、利根川氏の辞職は避けれないであろうが、米国では「女性差別ではなかった」ということで、大きな処罰は行われず、利根川氏は自ら研究所長を退任しただけであった。Vacanti氏が麻酔科科長を退任したように。

 

 それにしても、日本人は「世界的権威」に弱い。小保方氏が「ハーバード大学から来た」ということで、CDBの人たちは信じてしまったし、ノーベル賞を受賞しているからといって、フェアでない行動を取った利根川氏を理研BSIは研究所所長にしている。米国において利根川氏は研究者としては評価されているが、米国のどの組織も彼をトップに採用することはないであろう。

 

 日本のプロ野球においては、「名プレーヤー」を監督に就けて失敗することが時々あるが、それはその役割の違いがチームのオーナーによって十分理解されていない、あるいは単に人気取りのためであろう。その状況は「研究」の世界においてもそう変わらない。勿論、「名プレーヤー」の中に「名監督」の資質を持つ人はいる。一方で、「名監督」は「名プレーヤー」でなくてもなり得る。「監督学」、「リーダー育成学」という教育システムがあれば、「名監督」を産むことができる。

 

 2012年のスーパーボールは、監督同士が兄弟ということで大きな話題となった。兄のJohn Harbaugh率いるバルチモアRavensは、弟のJim Harbaugh率いるサンフランシスコ49ersを破って優勝した。兄のJohnは大学まではフットボール選手であったが、卒業後は直にコーチ業を学び2012年に頂点に立った。弟のJimNFLの選手として有名であったが、有名だけでは指導者になれない。Jimは選手の間も父親のJackの下で大学チームのコーチを無給で行っていたとのことだ。

 

 「研究」だけでなく、「教育」においても米国から学ぶべき点はある。ただし、「権威」ということで無批判に受け入れてはいけない。


 話がそれてしまったが、リーダーの在職期間が短か過ぎることは問題である。最低5年は必要だろう。しかし、その一方で長過ぎるのも問題であり、10年程度で後進に道を譲ることも非常に大切なことだ。組織の活力を保つには、何よりも人の「新陳代謝」が必要であり、大学や研究所といった創造的な仕事を行う組織では特に重要であろう。その点ではCDBは優れていた。一方、事情は不明であるが、リーダーの「新陳代謝」がなかったことが今回の大きな悲劇に結びついた。笹井氏の自殺に関連して、竹市センター長は「もう少し耐えて欲しかった」という主旨の発言をされていたが、この言葉に、笹井氏との長い付き合いから生まれた竹市氏の「甘え」を感じた。これは「センター長」から「副センター長」ではなく、「気心の知れた長い間の知人」への言葉であった。もしセンター長が新任であったら、センター長の自己保身の面もあるかもしれないが、ともかくもっと早く対処がなされていたことだろう。