先日、樋口毅宏さんの「タモリ論」を読みました。私は面白いと感じましたが、読了後にアマゾンのレビューを見てみたら、星一つのレビューがズラリと並んでいて、とても驚きました。
星一つのレビューの多くは、「タイトル詐欺だ!」というものでした。確かに、本書の内容は、「お笑いBIG3(ビートたけし・明石家さんま・タモリ)」についての言及が多く、「タモリ論」と銘打つには、かなり無理があるように感じました。
「タモリ論」というように、対象を限定して、規模を狭めたがために、様々な誹りを受ける結果となりました。「タモリ論というタイトルだから買ったのに、なんだこの内容は!」という感情的なレビューが並ぶのも無理はありません。仮に、私が本書のタイトルを付けるとすれば、「私が見るBIG3」という感じですかね。全く売れないであろうことは想像に難くありません。やはり、タイトルは大事です。
「タイトルと内容の乖離」がやたらと言及されていますが、その点以外にとくに気になる部分はありませんでした。内容は面白く、「買ってよかったなぁ」と素直に思いました。全てのレビューをチェックしてみましたが、私のような感想を持つ人は、かなり少数派みたいです。ふーむ。
やはり、事前の期待値が高すぎたということが、これほどまでに星一つのレビューが並ぶ最大の要因なのだと思います。齋藤智裕さんの「KAGEROU」の場合と同じですね。KAGEROUは、「俳優・水嶋ヒロの処女作!」「ポプラ社小説大賞受賞作!」といった、様々な惹句に彩られたおかげで、期待値が最大限に膨れ上がった状態で発売されました。その結果は、推して知るべしです。
KAGEROUが発売された当時、私は大学生でした。KAGEROUが発売されてから一ヶ月ほど経った頃に、「KAGEROU読みました?」とアルバイト先の小説好きの先輩に聞いてみました。先輩は、「アマゾンのレビューで散々だったから、買わない」と言いました。私は、「それ程までに、アマゾンのレビューに振り回される人がいるんだなぁ」と感心しました。
家電製品などの機能性が重要な商品ならまだしも、娯楽小説の購入の可否をレビューに委ねるというのは、新鮮な驚きでした。それと同時に、「一元的な物の見方」に恐怖を感じました。
よく、発売されたばかりの商品に星五つのレビューが並ぶことがあります。レビューの投稿者をチェックすると、同系統の商品のレビューばかりを書いていたり、中には、その商品だけレビューを書いている人もいます。そのようなレビューを見るたびに、「いくらでも情報操作が出来るなぁ」と思います。
もちろん、どこの媒体でも、程度の差こそあれ、そのようなことはやっていると思います。それらの全てを規制することは不可能です。ただ、アマゾンに限らず、レビューを参考にして、購入の可否を決めるという人は一定数います。それらの人達がポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、感情的で偏ったレビューに翻弄されてしまうのは、とても残念なことです。
そのような小さな不満の鬱積は、大げさですが、社会不安にもつながります。「たかかレビューじゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、「されどレビュー」なのです。一人でも多くの人がネットを気持ちよく利用出来るように、各々がポジティブな理想を掲げ続けることが大切だと思います(いつになく真面目)。