そのうえで、「多くの人びとが(提言を)一読し、自らの組織の点検と改革に生かしたい」「(改革委は)不祥事究明の一つのあり方を示したといえよう」と、理研の問題を自らを含め社会全体の教訓にしたいとまで書きました。朝日は今こそ、自らが理研に対してどう書いたかを振り返ってもらいたいと思います。
改革委の提言が出るまで、朝日の社説は理研の対応について厳しく批判していました。6月6日付の社説「STAP騒動 理研は再発防ぐ対応を」は、STAP細胞論文について「派手な展開で世間の耳目を集めたが、結果的には、根拠薄弱なものでしかなかった。撤回は当然だろう」との見解を示しました。
そのうえで、理研については「科学に対する忠実さの意識がどれほどあったのか疑わしい。これまでの対応は不十分だ。ひとえに、なぜ、この不正が起きたのかの調査が乏しく、今後の改善策も見えないからだ」と指摘しました。これまた、「科学」を「歴史」に置き換えると、朝日の現在の問題点と今後のとるべき対応策が見えてきます。
理研には徹底的な内部、外部調査や説明責任、謝罪、人事を含めた組織改革を求めておきながら、自分の問題となると何もしないというのでは、批判されるのは当たり前です。他人には厳しいが、自分には甘いという人は世間でも信頼されません。とくに社説を持ち、社会の方向性に大きな影響力を持つ新聞社には、自己を律することが強く求められます。