終戦記念日対談
金子兜太さんといとうせいこうさんが「俳句」から戦争と平和を語り合います
【政治】シベリア抑留 死者 東京出身1832人 3万3909人リスト判明第二次大戦後の「シベリア抑留」により、旧ソ連で死亡した日本人推計五万三千人中、身元が判明した人の約九割に当たる計三万三千九百九人について、厚生労働省が都道府県別に出身地をまとめていたことが二十日、分かった。東京都の千八百三十二人を筆頭に、計十一都道府県で抑留死者が千人を超えている。 抑留死者については遺族らが個別の情報を把握している半面、全体像に関して分かっていない点が多く、実態解明を進める上で欠かせない資料になりそうだ。 共同通信が入手した資料によると、東京を除く十道府県の抑留死者数は北海道千三百六人、新潟県千百五十七人など。資料に個人名は記されていない。 人口が多かったり、中国大陸の旧満州などに入植した満蒙(まんもう)開拓団に多数が参加したりした自治体が含まれている。日本が一部領有していた樺太(現サハリン)など、現在の都道府県に当てはまらない地域の出身者も百十六人いる。 厚労省は資料に基づく調査を重ね、身元が分かった抑留死者については二〇〇七年からウェブサイトで名簿を公開。名簿には出身地情報が明記されていなかったが、社会・援護局担当者によると、今年八月から都道府県名を付記した。 当初は個人情報保護の観点から出身地に関する情報の記載を控えたが「来年の戦後七十年に向け抑留者名簿を一層充実させたい」(同担当者)として、公開に踏み切ったという。ただ、名簿は埋葬地別に分類するなどしているため、出身都道府県別の抑留死者を簡単に把握できない。身元と埋葬地が分かっても遺族らと連絡が取れないケースはなお約七千件あり、今回の資料が役立つと期待される。 シベリア抑留 第2次大戦末期のソ連軍参戦により、中国大陸の旧満州などで捕らえられた日本の将兵や民間人らがシベリアなどの旧ソ連やモンゴルに抑留され、森林伐採などに従事させられた。厚生労働省の推計によると、旧ソ連で56万1000人、モンゴルで1万4000人の計約57万5000人が抑留された。多くは1950年代半ばまでに帰国したが、重労働や飢え、極寒のため、旧ソ連で約5万3000人、モンゴルで約2000人が死亡した。 PR情報
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