北朝鮮墓参:やっと来られた…70代兄妹、父を供養

毎日新聞 2014年09月21日 22時40分(最終更新 09月22日 00時29分)

終戦直後に病死した父親の埋葬地付近とされる場所で、手を合わせて慰霊する福島隆さん(右)と畔田八恵子さん=北朝鮮で2014年9月21日、井出晋平撮影
終戦直後に病死した父親の埋葬地付近とされる場所で、手を合わせて慰霊する福島隆さん(右)と畔田八恵子さん=北朝鮮で2014年9月21日、井出晋平撮影

 【咸興(ハムフン)(北朝鮮東部)井出晋平】終戦前後に現在の北朝鮮地域で亡くなった日本人の墓参のため訪朝している遺族らが21日、咸興の埋葬地を訪ね、霊を弔った。日本からの墓参団にこの埋葬地の立ち入りが許可されるのは初めて。北朝鮮地域では引き揚げ途中に多くの人が命を落とした。日朝協議で遺骨収集の先行きが見通せないなか、高齢化の進む遺族は「問題解決を急いでほしい」と話す。

 「やっとここまで来ることができました。お父さん、遅くなってごめんね」。咸興の山にあるかつての日本人共同墓地を訪れた福島隆さん(79)=熊本県山鹿市=と妹の畔田八恵子さん(70)=千葉県茂原市=は、線香と日本酒をささげて父久登(ひさと)さん(当時48歳)の冥福を祈った。今は地元住民の墓地だが、周辺に日本語の書かれた欠けた墓石が転がっており、日本人墓地だったことをうかがわせる。

 福島さん一家は終戦直前、北東部清津(チョンジン)に居住。だが、会社員の久登さんに辞令が出たため転居先の下見をしようと、福島さんは久登さんと1945年8月9日、母ミスエさんと幼い畔田さんらを残して清津南方へ向かった。その後、ソ連が参戦。駅で落ち合うことにしたが、ダイヤの混乱で会えなかった。

 福島さんと久登さんはミスエさんらを捜して移動したが終戦後、ソ連軍により咸興へ移された。咸興には日本人が多数集められ、劣悪な環境で発疹チフスが大流行。久登さんは45年12月末に亡くなり、福島さんは自ら穴を掘って埋葬した。

 福島さんは46年5月に咸興を脱出。ソ連兵の監視の目をかいくぐって38度線を越え、韓国・釜山経由で帰国した。一方、畔田さんらは親族の家に身を寄せた後、一足先に帰国。畔田さんは「私たちを捜そうとしたせいで父は亡くなった」と今も悔やむ。

 2人は昨年6月にも咸興を訪れたが、埋葬地に近寄れなかった。今回、北朝鮮は遺族の要望実現に努力している姿勢を示す狙いがあったとみられる。

 だが、北朝鮮が設置した日本人拉致被害者や遺骨問題を扱う「特別調査委員会」の報告は遅れている。墓参に参加した横浜市神奈川区の遠藤功一さん(72)は「次にいつ来ることができるか分からない。早く国交正常化を果たし、問題を解決してほしい」と話した。

 ◇北朝鮮墓参◇

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