言いたくないけど、僕が青二才です

言いたいことも言えない世の中で、言いたくないけどつい言っちゃうポイズンなブログ

ある程度、ブログが書けるようになったら「ブログに関わる時間を減らす努力」をした方がいい



イケダハヤトさんの記事を読んだ。

ブログとは何たるかを考える上で大事なテーマだと思うので、この話をしていこう。

プロブロガーほど素敵な商売はない:休暇を取れば取るほど、面白いブログになる :  プロブロガーほど素敵な商売はない:休暇を取れば取るほど、面白いブログになる : まだ東京で消耗してるの?
プロブロガーうんぬんはどうでもいいんだけど、「休暇を取れば取るほど面白いブログになる」という部分はとても同意!

 

何かのスポーツや、体で慣れていく仕事と違ってある程度覚えたらむしろ時間を短縮していったほうがいい記事が書ける。で、開いた時間の分だけ遊びに行って引き出しを作ったり、運動したり、大量に書く体力を時間を作るべく量産・毎日更新に挑戦したり…ブログを自分のフォーマットで短時間で書く習慣をつけていった方がいい。

 

今月はわからないけど、やり方に変えてから4ヶ月…僕のブログのアクセスは上がり、はてなツイッターで話題になることは増えた。

人々は個人ブログに何を見に来るのか?

ブログを書く技術・良いブログについてはアレコレ語るのだが、それが「数字とかいいから楽しくブログを書きたい」という層のハートをつかめないように見受けられる。

 

良いブログを書くとどうして楽しくなるか?ブログが楽しくなるということはどういうことかをいまいち語れてない。

僕ぐらいになれば「炎上を自由に操る能力を身につけた時の全能感」などワルな話もできるけど、そうじゃない。

そもそも「読まれる楽しさ」「うまくまとめきれた・書き抜いた達成感」「自分のブログで論争が繰り広げてるのを草陰から見てるホッコリ感」など数字やコメントがあるからこそその先にあるブログ趣味の面白さをちゃんと語らないといけない…と言いたい。

 

その前提で、数字や読者心理の話をすると「そもそも、どうして、個人のブログなんか読みに来るか」を考えてもらいたい。

 

もちろん、情報源としてブログを捉えている人も確かにいる。だが、単に情報源が見たいなら官庁のホームページか、Wikipedia・All About辺りの手軽で品質も比較的安定した読み物を読めばいい。

 

知識や情報も出し方やタイミングが合えば、個人ブログで書く意義はある。そのタイミングを見極めたり、情報を選んで調べるのもブログの技術だ。

 

だが、旬のネタはネタに食いついてるだけでそのブログ目当てではない。

 

個人ブログとして読みに来る・足を運ぶようなネタはなんだろう?

それは「自分が最も語れる話」は実体験である。それもごくささいな事。

 

最近気になったこと(今後書くかもしれないきになってること)で言えば、

「人から褒められると、逆に居心地が悪い」

「自分の子どもをお前呼ばわりする母親が許せない」

「大企業のオフィスの前を通りかかるとアフター5できっちりと駅に向かって行列ができてる光景を見ると、違う世界を生きている宇宙人に見えた。」

…どこでもみかける光景ばかりだが、自分にとって違和感のある体験をより詳しく、他人が共感したり、納得したりできる形で説明できるとしたら?そうするとブログはもっと楽しくなる。

 

アクセス数やコメント数だけの楽しさではなく「自分の気持ち・思ってること・もやもやしてることを形にできること」にブログの充実感を見出すことができる。言いたいことをただただ言うだけのブログよりもうまくまとめる・考え込めばたどり着ける一歩先の部分を考えられた時にブログはもっと楽しくなる。

 

そこを考えたり、伝わるようにまとめたり、読み返したくなるものが書けると自分の文章ながらうっとりしたりする。

 

体験を軸にブログを書く。自分の言いたいことを整理する時、自分の病気について悩んでる・だから調べたいと思ったこと、徹夜してしまうほど面白かったゲームをした話…自分という人間の体験が入ることでそこにストーリーや人間味が生まれる。

その人間味が個人ブログの面白さで、それは文章力や知識だけでつづることはできない。

 

だからこそ、ブログを楽しく書きたかったらブログを書かないで色んな事をする時間やお金を作るべきだ!と僕は言いたい。

体験と言葉にするために考え続けることがブログを面白くする。体験と言ってもささいな事でいいから、アンテナを張ってブログ以外の場所を観察する時間・気力を持って過ごす方が面白いものが書けるようになる。

 

最近、自分が力を入れてるのは全て「体験談」

ここ最近力を入れてる「当ブログの2大コンテンツ」は躁うつ病体験記とフリーゲームレビューだ。

前者は躁うつ病になったことをきっかけに僕が調べたことや、気づいたこと、体調が治っていく上で体験していることを書いていくもの。

後者は自分で最後までクリアしたゲームをネタバレ少なめで、ゲームをまだしてない人に魅力を伝えるようにレビューを書く…というもの。

 

特にフリーゲームレビューについてはかなり特徴的なことをしてる。

レビューを書くために最後までプレイしたり、やりこみ要素までプレイしなくてもレビューなんか書ける。だけど、そこを敢えてやり込んでからゲームを語る。

 

建前も中身もゲームレビューであることは間違いないが、プレイしたという体験があることで、どこで初期段階で悩んだり、やり込む前と後で印象が変わったかなどプレイヤーの目線で色んな事を書けるレビューになってる。

 

画像を多く見せて「こういうゲームだ」と説明するレビュアーがゲームには多いけど、動画サイトではなく文章で語る以上、それはしない。

可能な限り文面で説明し、「プレイすればちゃんと分かる」「プレイしなくとも同系のゲームをした人の想像力をかきたてる」ような位置を狙って書く。

 

体験した知識だからこそ、人に語る時にかゆいところまで手が届くような意識ができるようになる。これは自分の病も、ゲームのプレイ体験も同じこと。

 

体験すること・その時の記憶や自分が考えたことをちゃんと思い出したり、同じ境遇や道筋を行く人にアドバイスできる足跡をどう残すか…。

 

これはちゃんと体験する時間と、ブログにまとめる練習の両方をした人じゃないとできない。

 

体験する時間、ブログに向かわずに外を歩いて何かに気づく時間を作ることでブログはもっと面白くなる。

特に何ヶ月・何年とブログを積み重ねて書いた人には是非ともオススメしたい。

 

もし、自分の持ってる知識を体験してる人の目線・自分と目線が近い人が「知る」という体験をして驚く姿を想像して書けるようになったら、それは知識や情報以上の価値で「このブログを読みたい」と思ってもらえるのではないだろうか?

 

 

最近、年配者に言われた話だけど、今の世代はかなり変わってるらしい。いい意味でも悪い意味でも「最近の若者」という像や考え方があって、僕は全世代では変わってても、若い人の中ではその最右翼のような考え方の人物らしい。

 

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