心ここにあらず

誰かの人生に余計なことを提供するブログ

会社の志望動機を今でも覚えていますか?

面接で必ず聞かれる志望動機。

入社何年目になっても志望動機というものは覚えているものなのでしょうか。

覚えている人はその志望動機に沿った働き方ができているのでしょうか。

志望動機に沿った働き方をできていないとしたら、それでも働き続ける理由は何なのでしょうか。

 

私の志望動機

私の志望動機はこれです。

「世の中の大人たちは月曜日が死ぬほど嫌いに見える。だから自分は月曜日を楽しむ人間になりたいし、そういった人を増やしたい。」

 

この志望動機が人事にうけ、内定をもらうことができました。

そして今、私は月曜日が死ぬほど嫌いです。

 

志望動機には本音が詰まっている

内定をもらうために志望動機を考えるというのが常です。それでも企業研究をして、この会社でこういった働き方をしたいという気持ちを強くもたないと内定をもらえません。つまり、この会社ならこの自分になれるというのが志望動機なのです。そのため受ける企業によって形を変えながらも、そこには自分の本音が詰まっているのです。

そして企業は建前だと思っていても、その志望動機を審査し、内定を出します。つまり内定には一部、会社として「その志望動機は弊社でできますよ」っていう承認が含まれていると思うんですよね。

 

「志望動機が叶わない」は転職理由にならないのか

転職を考えている中で、そういった考え方に出会いました。

私の会社(配属された場所)には月曜日が楽しみだという人は1人もいません。この環境で私だけ月曜日を楽しみに出社することは転職するより難しいでしょう。

月曜日が楽しみでない人が他人に月曜日を楽しみに出社してもらえるような仕事をすることはできないと思います。自分にできないことを提供することはできないと思うからです。「月曜日楽しみになるようにしましょうね!私は月曜日大嫌いですけど!」なんて矛盾だらけですし。

つまり私はこの会社でしたかった働き方ができないことになります。そうなれば転職で他の企業に本音をぶつけて、それが少しでも叶うような環境に飛び込むことはできないのでしょうか。

自分に嘘を付いているような感覚になります。あんなに熱い気持ちで飛び込んだ会社を冷め切った目で見ている自分が嫌になります。独り言やため息をつきながら眉間にしわを寄せてパソコンを叩き、仕事が終わった飲み会では仕事の愚痴ばかりを言っている先輩を見ていると、なんだか情けなくもなります。私個人の力で環境に抗えばいいのでしょうか。そのメンタルを転職に活かせばもっといい会社で働けないものでしょうか。そんなことばかり考えてしまいます。

 

おわりに

みなさんは現在働いている会社の志望動機を覚えていますか?