OB選手たちの現在――箕輪義信(元川崎フロンターレ)「サッカーをやってきた人間として、サッカーを通じて人を育てたい」
文=細江克弥 取材協力=Jリーグ 企画部 人材教育・キャリアデザインチーム 写真=兼子愼一郎、Jリーグフォト
導かれるようにして飛び込んだプロの世界
ある日の午前。神奈川県川崎市内の高校で、県立新城高のベンチに監督として座る箕輪義信の姿があった。新人戦の地区代表決定戦。勝てば県大会に進出できる重要な試合である。試合は前半に2点を奪った新城高がリード。しかし後半に1点を返され、緊張感はピークに達していた。
「お前がやらなきゃ誰がやるんだ!」
ピッチで必死にボールを追う選手に向けて、箕輪の檄が飛ぶ。名前を呼ばれた選手は「はい!」と答え、またボールを追った。新城高は守勢を強いられた終盤を乗り越え、何とか地区代表枠を勝ち取った。
試合後のミーティングを終えた箕輪はサングラスを外し、さっきまでの厳しい表情を崩してこちらに歩み寄ってきた。
「お待たせしました。じゃあ、行きましょうか」
連れ立って近隣のレストランへ足を運び、話を聞いた。
1999年に加入したジュビロ磐田で2年、川崎フロンターレで9年半、コンサドーレ札幌で2年半をプロとして過ごし、2010シーズン限りで現役を退いた。05年にはジーコ体制下の日本代表に招集され、1試合に出場。しかしそれだけの実績を誇る彼がセカンドキャリアとして選んだのは、公立高校の教師という職業だった。聞けば、その仕事は中学時代からの憧れの職業だったという。しかし私立ではなく公立を選び、いわゆる公務員となった選択にこそ彼らしさが凝縮されている。
「高校2年の時にJリーグが始まったんですが、僕は国体選抜に選ばれるような選手でもなく、自分がプロの世界でプレーするという選択肢は全くありませんでした。プロになりたいと思ったのは仙台大3年の頃。ユニバーシアード代表に選ばれて、うまい選手と一緒にプレーして、世界の舞台というものを初めて経験して、『こんなに楽しい世界があるんだ』と素直に感じたんです。でも、それがきっかけでプロになりたいと思ったわけではありません」
大学卒業後は教師になるつもりだった。子供の頃に「勉強が苦手だった」という箕輪には、中学2年の時に出会った一人の国語教師によって、勉強の楽しさを教わった経験があった。「誰でもやればできる」。国語教師のその言葉は箕輪を勇気づけ、以来、教師という仕事に魅力を感じた。
「体育の教師になって、あの先生が自分に与えてくれた感動を子供たちに感じてもらいたい」
しかし大学4年になったばかりの頃、その人生を大きく変える出会いに恵まれる。
「ある日の練習で『知らない人が来ているな』と思ったら、その人がジュビロのスカウトでした。まさか自分に声が掛かるとは思っていなかったので驚きましたね。しかも、当時のジュビロは黄金時代の真っただ中。『何で俺なんだろう』という思いが強すぎて、一度は『自分には厳しい、そんなレベルの選手じゃない』と断ったんです。本当にそう感じていたので、すごく冷静だったんですよ」
ところがスカウトは、こんな言葉で箕輪を説得した。
「ウチに来て育てばいい。今の君は何も知らないままサッカーをやっているから、磐田に来てサッカーを勉強してほしい」
その人の目を見て「うそは言っていない」と感じ、プロの道に進むことを決めた。いずれ教師になるにしても、プロとしての経験をきっと生かせるはず。教育実習に通っていた頃には自らの意志を固めていた。
「本当に出会いに恵まれていたと思います。僕はプロになりたいと思ったことがないまま、導かれるようにしてプロの世界に入りました。たぶん、なかなかそういう選手はいないんじゃないかな。大学時代も自分がプロで通用するとは思えなかったですから。ただ、ユニバーシアードに出場した時に、自分が最も得意とするヘディングで初めて競り負けるという経験をしたんです。確か、オランダの選手だったかな。2メートル近くも身長がある選手に競り負けて、ものすごく刺激を受けました」