≪胸に手当て綱領を再読せよ≫
もう1点、私見を述べる。
8月5日以降、朝日は袋叩(だた)きである。身から出た錆(さび)だろう。朝日は萎縮するかもしれない。その結果として、同紙は産経新聞や読売新聞の論調に近づくこともないとはいえまい。それをどう思うか。今まではそんなことはあり得ないと考えていた私だが、今回の事態を契機にこの問題で自問自答している。得られた答えはこうだ。
日本のプレスはやはり多彩でなければならない。われわれは全体主義国家に住もうとは思わない。複数主義的民主主義(プルーラリスティック・デモクラシー)にとり、多様性は断念不能である。ゴム印を押し続けているような全体主義的プレスは真っ平御免。新聞にはそれぞれの個性と独自色が不可欠である。どの新聞を読んでも論調が同じというのであってはなるまい。どこを切っても図柄は同じ「金太郎アメ」は願い下げだ。
朝日新聞綱領は1952年に制定された。若い記者諸公は熟読すべきだ。立派な内容である。第1項は「不偏不党」を謳(うた)い、第3項に「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を」とある。この誓いは神棚に祀(まつ)ったまま年来無視されてきた嫌いがあるが、今胸に手を当てて再読すべきだろう。朝日よ反省せよ。しっかりせい。(させ まさもり)