2014年09月19日

スコットランド「独立」可否のレファレンダム(国民投票)、結果が出る。

結果はこうなりました。




2ヶ月前は、きっと誰にも気づかれずにさくっと投票終わって、ニュースジャンキーの間で「あー、そういえばやってたよねー」くらいの重みで語られる程度になるのではないかと思っていたんですが、1本の世論調査結果で「あわわ」ということになり、ウエストミンスターとフリート・ストリートがパニクったことで世界中の人が注目するような大ニュースになりました。

私の見ている画面で何人かが述べていたのですが、一発の銃弾も発射することなく、ボムを投下することもなく、戦車を動員することもなく、集会に来たウエストミンスターの政治家に卵が1つ投げつけられただけで、ディベートと投票によって、投票所によっては90パーセントを超える高投票率で、スコットランドという「国」の将来を決定的にするような判断が民主的に行なわれたということには、今のこの暴力的な情勢のなか、非常に感じ入るものがあります。

一方でイングランドでは妙な「ナショナリズム」が横溢しきっていて、正直、見るに耐えない部分もあります。「Twitterやめどき」説を強化するようなものがいろいろと。


それについてはこちらに、アンディ・マレーの発言に対する反応として少し記録しましたが、まだほかにもあります。

そういったことを含め、いずれブログには書きたいのですが、もう少し落ち着いてからということで。。。

レファレンダムの結果については「まとめ」のようなものも特に作りません。各報道機関でライヴブログなどをやっているのでそれを参照。

いろいろ、ツイートしたりRTしたりはしているので、それをあとでブログに貼りこむくらいのことはするかもしれません。
http://twilog.org/nofrills/date-140919/asc

いずれにせよ、The United Kingdam will not stay the same after this. です。結果が出たとたんにウエストミンスターでは話が「ウエスト・ロジアン問題」にすりかえられていたのには笑うしかなかったけど。

TTもしてますね。



posted by nofrills at 17:22 | TrackBack(0) | todays news from uk
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おひとりおひとりに感謝申し上げます。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む

EXPOSING WAR CRIMES IS NOT A CRIME!


詳細はてなダイアリでも少し。