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Danas je lep dan.

2014-09-19 ガンダム未見だけど銀英伝は読んだので

[]これまで年号表記をめぐって争ってきたのはキリスト者の側だった

 滋賀県の大学をめぐって次のような訴訟が提起されました。

 滋賀県立大(彦根市)を卒業した女性と父親が「西暦表記の卒業証書はキリスト教の暦を強制するもので、信教の自由を保障した憲法に違反する」として、大学などを相手取り、元号で再交付するよう求める訴訟を19日、東京地裁に起こした。

 訴状によると親子は仏教神道信仰。3月に卒業した際、発行日と生年月日を西暦で書いた卒業証書を渡され、父親が元号表記で再交付するよう大学に頼んだが、断られた。

「キリスト教の暦を強制、西暦表記の卒業証は違憲」 滋賀で父子が提訴 - MSN産経ニュース

 トンデモ訴訟だとお思いの方が多いみたいですけど,まったく同じ訴訟は既に類例があるんですよね。

なお、大阪地裁は1994年、大阪府豊中市で卒業証書への西暦表記を巡って争われた日本人の中学卒業生の裁判で、卒業証書発行の権限は校長にあり、西暦、元号どちらでも違法ではないとの判決を下しているが、現在では、国籍などに関係なく、西暦で表記したり、西暦と元号を併記する学校が増加している。

http://tamutamu2011.kuronowish.com/genngou.htm

 これは元号表記のみなのは良心の自由を侵害しているとして西暦表記で記載するよう争われた裁判です。また,この裁判だけではなく,学校における元号表記をめぐってはいくつもの問題提起がなされてきました。たとえば2009年には,大阪弁護士会が府内の学校で西暦を認めるよう要望を出しています。また,次のような事件もあったということです。

  先の「政府統一見解」によれば,「元号制度は法律でもって国会が定めた以上,国の機関としては特に理由のない限り,元号を使用すべきことは当然であり,地方公共団体も国に準ずるものと考える」としています。ということは,学校も「お役所」の一つとして,当然のこととして元号をしようしなければならない,ということになるのでしょうか。このことには大きな疑問を持たざるを得ません。たとえば,広島県の1987年の卒業式では,一部の卒業生が元号記入の卒業証書の受け取りを拒否するなどの混乱がいくつのも学校で起こったため,県教委は翌年1月,元号のほか西暦の併記も認める方針を出しました。

http://kohoken.s5.pf-x.net/cgi-bin/folio.cgi?index=bun&query=/lib/khk092a2.htm

 日本のキリスト教会,特にカトリックプロテスタントは,強く元号表記に反対してきました。たとえばプロテスタントの横浜中央教会のホームページには次のように記されています。

 1979年には「元号法」が成立しましたが、「元号」とは皇帝が時間をも支配するという中国の思想の輸入で、日本の天皇支配に利用し、天皇の代替わりの時に変更しています。私たちクリスチャンは、この思想を国民に強制することに反対し、教会では決して元号を使いません。この時の総理府総務長官は「一般国民は、これまでと同様に今後も、元号、西暦を自由に使い分けていただいて結構である。公的機関の窓口業務においては、…西暦で記入されたものも適法なものとして受理されることはいうまでもない」と言明しました。これは現在でも有効ですので、皆様は役所などで書類を書く時、印刷された元号を消して西暦を書きましょう。もし窓口で文句を言われたら上記の声明を見せれば必ず通ります。(掲示板参照。コピーの必要な方は受付にあります)

信教の自由を守る日: 横浜中央教会

 また,日本のカトリック教会の下部組織であるカトリック正義と平和協議会は,2001年にカトリック系の学校に対して次のようなアピールを出しています。

また大多数のカトリック学校では、学校文書や卒業証書などの年表記に元号が用いられ、キリスト暦でもある「西暦」(世界暦)が使われていないのが現状です。これもまた、学校文書を西暦に一本化にするか、または西暦優先にしているプロテスタント諸学校とは対照的です。

http://www2.ocn.ne.jp/~antijpj/comparison/kokka-kokki.pdf

 このアピールを出した大塚喜直司教(当時)は,西暦がキリスト暦であることを正確に認識しています(厳密に言えば,正教会では歴史的に西暦ではなく天地創造暦を用いていたので,「西方教会の暦」ですが)。キリスト者が宗教的理由から元号表記のなされた暦を受け入れないと主張するのであれば,その逆もまた然りと言うべきでしょう。キリスト教の諸教会は,当然この理屈には諸手を挙げて賛同してくれるはずです。何故ならば過去他でもない彼らこそが,紀年法の強制は信教の自由を侵害していると主張して闘ってきたのですから。

 誤解しないでほしいのは,少なくともわたしは宗教的な暦だから悪いと言っているわけではないということです。元号が天皇制に基づいた宗教的な暦だというなら,西暦もイエス・キリストの生年を基準とする宗教的な暦です。そして,世界の多くの国ぐにで使われているのは,宗教的な暦なのです。西暦もしかり,イスラーム諸国で巡礼ラマダーンの時期を定めるのにとても重要な役割を果たすイスラーム暦(ヒジュラ暦)もしかり,タイやミャンマースリランカで使われている仏暦仏陀の入滅を起点とする)もしかりです(もちろん,宗教色のない暦も少数ながらあります。台湾で使われる民国暦,朝鮮民主主義人民共和国で使われる主体暦がそれです)。

 どのオルタナティヴを採用しようとしても,宗教性が混入してしまうのは避けられません。たとえば,西暦の問題点を解決するために考案された人類紀元も結局は西暦が基準になっています。であるとすれば,暦が宗教的であることを認めた上で,その国の歴史や個人の信教の自由などを考慮して個々の場面で暦に対する態度を考えてゆくことこそが求められているのではないでしょうか。たとえば,沖縄北海道においても元号を用いることが正しいのかどうか,というのは元号支持者たちが真剣に検討すべきことでしょう。

 もちろん,紀年法に優劣はないとはいえ,利便性の違いは存在するでしょう。たとえば,元号のようなたびたびリセットされて個々の年号を繋ぎ合わせないと一貫した時系列を組み立てられない紀年法や,干支・インディクティオなどの循環式紀年法と比べれば,確かにある特定の起点を定める紀元システムは便利だと思います。紀元システムというのは,たとえば西暦・イスラーム暦・仏暦・民国暦などのことです。戦前の日本で使われていた皇紀もここに含まれます。そして利便性の観点から,世界でもっとも広く通用する暦である西暦を用いよう,という主張は有り得ると思います。

 最悪なのは,それをさも元号やイスラーム暦よりも中立的な紀元法であるかのように扱うことです。それは無意識的な西欧中心主義への荷担ではないでしょうか。アイヌの人びとのみが「民族文化」を体現するよう求められる状況と同じ問題がそこにはあります。あるいは,スコットランド独立運動がいつまでも「部族主義」と扱われ,National Partyが「民族党」と訳され続けるような問題とも通底するでしょうか。もちろん,偏りを自覚した上で西暦を選び取るというのならいいのですが,偏りがないように装うことは許されるべきではないとわたしは思います。

 あ,ガガーリンを起点として「宇宙暦」を作ろうという主張であれば賛同するに吝かではありません。

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