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【銀座新聞ニュース=2014年9月9日】丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は9月10日から16日まで3階ギャラリー特設会場で「アイルランドフェア」を開催する。
アイルランド政府商務庁(千代田区麹町2-10-7、アイルランドハウス、03-3263-0611)がアイルランドの文化とアイルランドに根付くケルト文化を紹介するためのイベントで、最高級素材のアイリッシュリネン、毛などの衣料品から陶器、アクセサリー、バッグ、小物雑貨、紅茶、ホームメイドジャムなどを展示販売する。
ウイキペディアや外務省によると、アイルランドは1922年にイギリス連邦内の自治領として発足(北アイルランドはイギリス領にとどまる)、1949年に共和制を宣言し、イギリス連邦を離脱し、1973年にECに加盟、1998年に北アイルランドとの和平合意が成立し、1999年にユーロ導入(ユーロ創設メンバー)している。現在、人口が459万人(2013年)、GDPが2107億ドル(2012年、約21兆700億円)となっている。貿易額では2013年で日本からの輸出が1020億円に対して、アイルランドからの日本への輸入が3553億円で、日本の輸入超過が続いている。
アイルランドは紀元前265年頃にヨーロッパ大陸よりケルト人の渡来が始まり、5世紀ごろにキリスト教が布教され、8世紀末頃にノルマン人(バイキング)の侵入が始まり、1014年にアイルランド上王 (High King) ブライアン・ボルー(Brian Boru、ブリアン・ボルーとも、941-1014)がバイキングを破り、これ以降、バイキングの侵入が収束した。
1169年にノルマン人の侵攻が始まり、1171年に諸豪族がイングランド王ヘンリー2世(Henry2、1133-1189)の支配下に下り、1541年にイングランド王ヘンリー8世(Henry8、1491-1547)がアイルランド王を自称し、これ以降、イングランドからの入植者が増えた。1652年に護国卿オリバー・クロムウェル(Oliver Cromwe2、1599-1658)がアイルランドを侵略、事実上植民地化した。これ以後、正式な移民が始まる。
1801年にグレートブリテン王国とアイルランド王国が合併し、実質的にイギリスにより、アイルランドが併合された。1840年代後半にジャガイモの不作が数年続き大飢きんとなり(ジャガイモ飢きん)、これにより、多くのアイルランド人がアメリカへ移住した。1840年は800万人の人口が1911年に440万人にまで減少している。1914年にアイルランド自治法が成立するも第1次世界大戦勃発を理由に自治が保留される。1922年にアイルランド自由国が成立、イギリスの自治領となるも、北部アルスター地方の6州は北アイルランドとしてイギリスに留まり、これによりアイルランド内戦へと発展する。
1931年にイギリスと対等な主権国家となり、1937年に新憲法を施行、国号をアイルランドと改め、1938年にイギリスが独立を承認、イギリス連邦内の共和国となる。1949年にイギリス連邦を離脱、完全な共和制に移行、1998年にベルファスト合意が成立し、直後の国民投票により北アイルランド6州の領有権を放棄した。
ケルト文化はヨーロッパにおいて2500年以上の歴史のある古い文化で、古代ケルト人は文字をもたず、宗教は自然崇拝の多神教であり、神話は口承され、その世界観は独特な造形を描き出してきた。紀元前265年頃から古代ローマ人により、ケルト人はヨーロッパ大陸からアイルランドなどブリテン島へ移り、ローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつケルト部族社会が展開していた。
しかし、同じブリテン島でも西部のウェールズはアングロサクソンの征服が及ばず、ケルトの言語が残存した。スコットランドやアイルランドはもともとローマの支配を受けなかった。ケルトの宗教は自然崇拝の多神教であり、「ドルイド」と呼ばれる神官がそれを司り、初期のドルイドは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わっていた。
ブリテン島のケルト人の間では、4世紀にはキリスト教が根づき(ケルト系キリスト教)、5世紀になると、アングロ・サクソンなどのゲルマン人の侵入により、ケルト人キリスト教徒はウェールズやコーンウォルに移った。その後、バイキングの侵入やノルマン・コンケストの影響で、ケルト人キリスト教はしだいに衰退していった。
アイルランドでは、6世紀末から8世紀初めに、ゲルマン人をキリスト教化する方針が取られた。アイルランドでのケルト・キリスト教は、9世紀から10世紀のバイキングの侵入によって衰退し、ケルト・キリスト教独特の制度は、12世紀までにヨーロッパからほとんど姿を消した。ケルトの文化はドルイドがその教えを文字にすることは正しくないと考え、口承で伝え、口承以外の記録のためには、ギリシア文字を借用していた。
碑文などの言記表記をする際に後にギリシア語やラテン語を参照にして、ケルト人独自のオガム文字が生まれたが、後世にケルト人がキリスト教化すると、オガム文字はラテン文字に取って代わられた。キリスト教化したあとも、ケルト人独特の文化はまったく消滅したわけではなく、現代でもウェールズやスコットランドやアイルランドにはイングランドとは異なる独自の文化が残っている。
アイルランド語はケルト語派の言語で、現在もアイルランド語を話せる人は10万人程度とされている。また、アイルランドで古くから伝わる「アイリッシュトラッド」には楽譜がなく、すべてが口承で伝えられてきた。19世紀にアイルランド人がアメリカに移り住むと、ケルトの歌も海を渡り、地になじんでカントリーとなり、ブルースと融合してロックへと変貌したという。
開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。入場は無料。