バックミラー症候群と「出版不況」「活字離れ」論
マーシャル・マクルーハンは「メディア論」(みすず書房)や「メディアはマッサージである」(河出書房新社)の中で、メディアの新旧交代の時期に起きる、さまざまな現象を詳説しています。中でも一番有名なのが、「バックミラー症候群」という思考法です。
“われわれはバックミラーを通して現代を見ている。われわれは未来に向かって、後ろ向きに進んでいく。われわれの想像の中では、郊外はいつまでも幸せを生む土地である。(「メディアはマッサージである」より)。”
目の前の状況があまりにも激しく変化していると、人は「後ろ(過去)」を向いてしまいます。「後ろ」は常に美化されて、現実とは違うものになります。「昔はよかった、それに比べて今は……」というわけです。しかし、過去は本当に美しかったのか、ほとんどの人は確かめようともしないのです。
同じことは、マスメディアの発達によって生まれた社会を研究する「大衆社会論」の中でも繰り返し指摘されています。この分野の古典である「大衆の反逆」(角川文庫)の著者、オルテガ・イ・ガセットも、この種の「昔はよかった」知識人を、精神的な「大衆」の一典型として批判しています。
“以上長々と述べてきたが、それは、最近十年間に、空中にはびこった没落論(…)に関する労作が根無し草であることを明らかにするために必要だったからである(…)没落しつつあるのはいったい何かを明らかにしないで、没落を云々するのは、意味がないのである。
河の向こう側、つまり、今過ぎ去ったばかりの充足せる時代に執着し、すべてをその時代の眼鏡で眺める人は、現代をあたかも頂上からの転落、一つの没落であるかのように感じる蜃気楼に悩まされることであろう。しかしながら、冷酷なまでに冷静に時代の脈搏をとりつづけてきた歴史を愛する一学徒は、そのような架空の頂上というような蜃気楼に幻惑されることはないのである。”
マクルーハンもオルテガ・イ・ガセットも古典中の古典であるのに、「出版不況」論者や「活字離れ」論者の議論には、これらの名著を読んだ気配が見られません。「活字離れ」を心配したくなりますね。
私たちの目の前で、いま、「電子出版」という新しいメディアが、いよいよ本格的に発展しようとしています。メディアの新旧交代の時代には、さまざまな混乱がおきます。そこから目を背けて、「昔はよかった」という蜃気楼に身を委ねたい気持ちは、40代半ばの私にもわかります。
しかし、これまで見てきたように、コンテンツとしての「出版物」に対するニーズは、少なくとも「書籍」に関しては、いささかも衰えてはいないと考えられます。
で、あれば、われわれの成すべきことは、根拠・定義不明な「出版不況」論や「活字離れ」論に溺れ、「電子出版」の欠点を論ったり、自らの無力を嘆いたりすることではありえないでしょう。
これまでの出版の美点を伸ばし、欠点を減らすために、「電子出版」のポテンシャルをどう活かすのか。電子出版が「出版」の姿を変えつつあるプロセスに、どう貢献し、産業をどう拡大していくのか。
そのような問いにコミットせず、ただただ昔話をするだけの「出版論」は、もう終わりにしてほしい。そう思うのは、私だけでしょうか?