明治初期に殺人を犯し、「毒婦」として伝説化している高橋お伝。私
はこれまで、この人について書くことには、気が進みませんでした。
何故なら、この女は、毒婦でなく、ありふれた殺人犯。事件そのもの
も、彼女自身も、特に個性的ではありません。
ただ、当時の政治的、社会的背景を考えると、大きな問題を後世に
残していると思うので、今日題材にいたします。
お伝は、実父も実母も誰だかわからないまま、養父・高橋九右衛門
に育てられます。それなりに豊かな家で、貧困とは無縁でした。しかし
14歳で婿をとったところ、お伝のわがままが原因とかで1年もたず
にスピード離婚。怒った養父に、奉公に出されます。
しかしすぐに脱走。女郎屋に住み込みますが、連れ戻され、2人目の
婿養子を取らされます。そしてその波之助という名の夫とは、うまくい
くのでした。
しかしこの夫が癩病という不治といわれた病にかかったため、治療費
がかさみ、田畑を質入れし、貧窮していきます。当時は、保険制度も
ありません。やがて地元にいられなくなり、二人は東京に出ます。
そこで彼女は身を売って重病の夫を支えますが、その夫とはまもなく
死別。借金だけが残ります。
その後、何人かの男の妾になりますが、それが揃ってケチ。やがて
小川市太郎という男と恋に陥りますが、彼はぐうたらで生活力がない
ため借金は更に増えました。
困窮したお伝は、以前一時自分を妾にしていた後藤吉蔵に借金を
頼みますが断られたため、彼を殺し、金を奪った。というのが、お伝の
生い立ち及び起こした事件のあらましです。
これ、金に困った女の、いたってわかりやすい犯行です。また、お伝が、
派手な浪費癖があったわけでなく、大病の夫の治療費による借金を抱
えていたこと。また、事件の背景を見ても、後藤吉蔵は一度は金を貸す
と言っています。しかし、夜を共にし、朝になったところで、「やっぱり・・」
と態度を変えているのです。金持ちのくせに。
まあ、売春が違法でない時代に、売春婦相手に「やり逃げ」を企てた。だ
からって、殺されて当然では全くないのですが、お伝に対する情状酌量
の材料にはなるはず。
ということで、この事件、今の時代なら、無期懲役にもなりません。殺人事件
の中で、最も軽い刑ですむでしょう。江戸時代でも、せいぜい遠島止まり。
期間は、やはり殺人事件の中で一番少ないものになるはず。
しかし、彼女は死刑。しかも、全身解剖されています。理由が、「これだけ
の毒婦の腹のうち、淫乱女の性器のうちを研究材料にするため」などと、
とんでもない理屈を立てています。明治政府は。何故こうなったか。
実は、江戸時代まで日本が性を中心に非常におおらかな国民性を保って
きたことは、私が言うだけでなく、今や動かしがたい事実として判明して
います。それを一気に変えさせるきっかけとなった「唐人お吉」の一件が
この前にあったのです。
お吉については、4月26日の記事に書いていますので、参照して頂きたい
のですが、簡単な成り行きは、敬虔なクリスチャンで生真面目な大使・ハリス
が、「看護婦をできて土地の案内役もしてくれる女性を紹介して欲しい」と
いったところ、お上が勘違いして、娼婦に近い芸者・お吉を紹介し、赤っ恥
をかいたという話です。
これを深刻に受け止めた明治政府は、「エロ国家のイメージを払しょくし、
キリスト教的な禁欲主義的思想を取り入れないと、西洋と国交が出来なく
なる」と考えたのでしょう。そんな時に、お伝の事件です。また、彼女の性格
が取り調べの刑事を嘘で翻弄したり、いかにも「悪役(ヒール)的キャラクター」
だったことも、政府にとっては都合良かった。
つまり明治政府は、西洋の「魔女狩り」を意識したのでしょう。そして、日本
にも、こういう敬虔でお堅いところがあるのだということを、お伝を利用して
西洋にアピールしたのだと思われます。
しかしそれにしても、明治政府の、陰湿、狡猾、更には変態性まで窺われる
一件で、後味が悪すぎますね。後に、さほど美人だったわけでもない彼女
を、「妖しい艶毒婦」として、芝居化、映像化がされているのは、「同情票」
でしょう。といっても、とにかく後味が悪すぎるので、見たくも出たくもない
話です。もし彼女をドラマ化するのなら、幽霊として出てきて社会を翻弄す
る、SFホラー。そこまでやるなら、面白いと思います。