選手会ストライキから10年に際してのコメントを掲載します。

2004年、近鉄・オリックスの合併発表に端を発する球界再編問題において、1リーグ化を視野に入れた再編がファン不在で進む中、当会は古田敦也会長(当時)のもと、“ファンも選手も球界の一員”をスローガンに、合併凍結、12球団維持などを対話によって解決すべくさまざまな活動を行いましたが、同年9月17日の交渉において、18,19日、ストライキ決行のやむなきに至りました。

本日、ストライキから10年の節目に当たり、組合会長、一般社団法人理事長、事務局長のコメントを発表させていただきます。

労働組合日本プロ野球選手会 嶋基宏会長(東北楽天)

10年前のあの日、自分はまだ大学生でしたが、思えば先輩たちの行動がなければ、楽天というチームで優勝を経験することも、今のようなプロ野球の形もなかったはずです。
いま選手を代表する立場で言えることは、あの時、個人の立場を越え、未来のプロ野球のために決断を下した選手の皆さんに敬意を表するとともに、先輩たちが未来に何を託したかったのかとの想いを忘れずにいることが、会長である自分をはじめ、現役選手の責任であると強く感じます。

一般社団法人日本プロ野球選手会 東出輝裕理事長(広島)

ストライキを経験した時は入団6年目。中止になった横浜でサイン会をしたのを覚えています。
あれから10年、プロとアマの距離が近づくなど前進はありましたが、野球振興に携わる立場で言えば、野球を取り巻く環境が以前とは比較にならない速さで変化している中で、球界はもっと1つになって解決すべき問題があるはずです。選手や選手会が、未来のファンや選手のために発言し、行動してきた歩みを噛みしめ、自分たちにできることをやっていきたいと思います。

日本プロ野球選手会 松原徹事務局長

選手でありながら、試合を見せられない日をつくってしまう葛藤で苦悩し続けた古田会長をはじめ、当時の選手は“先輩たちはあの時、何をしていたんですか”と後輩に言われぬよう、誰に恥じることのない、悔いのない行動をしようと心に決め、ペナントレースを戦いながら、未来の球界のためにも戦うという日々でした。
今も毎年12球団のキャンプで新人選手へはそのことを伝え続けています。10年を経て選手会、NPB、アマ球界との距離は縮まりましたが、意識やスピード感にギャップがないとはいえません。
選手をプレーに集中させる環境づくりとともに、野球人たちは「プロ野球のある国」を続けていくために、何と戦わなければいけないのかを肝に銘じていきたいと思います。


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