αβγ

1-1+1-1+・・・・・・=1/2?

1-1+1-1+・・・・・・と無限に1と−1を交互に足し合わせていくとどうなるでしょう?0と1で振動しそうな気がしますが、極値は求まるのか?
まず1-1+1-1+・・・・・・=Xとおく
X=1-(1-1+1-1+・・・・・・)=1-Xである。よってX=1/2?
しかしそもそも収束するという前提がなければXとはおけません。
ベルヌーイやライプニッツなどは1-x+x^2-x^3+・・・=1/(1+x)にx=1を代入して1/2などと求めていますが、これはこの等式は0

結晶は六方対称の先が存在しないワケ

固体物理の本を読むと結晶の対称性は準結晶の5回対称を除いて3、4、6となっている。
仮に6回対称よりも高い対称性の結晶があったとする。6回対称の場合60度ずつのずれで回転して格子が充填することになるだろう。下の図でその場合はある格子B、CはAからみて60度より小さい範囲に等距離で存在しているはずである。

しかし図からわかることだがAを基準としたB,Cそれぞれまでの距離は格子間の最短距離であるにもかかわらずB,C間の格子距離はこれよりも短い。よって6回対称以上は存在しない。

運動量保存則の適用に関して。

タイトルは運動量保存則についてだが、この法則がいつでも成り立つとは限らないし、誤った解釈に基づいて問題を判断することで他の法則、たとえばエネルギー保存則と矛盾するといった判断を下してしまう危険性がある。こうした誤解が生まれる具体例として砲弾を撃つ実験を通して考えてみる。
大砲で砲弾を撃つとき弾をより遠くまで飛ばすにはどう工夫すればよいか。ここでは大砲の形状や弾の性質を統一したもとで異なる二つの選択肢を考えよう。まず最初に大砲の後ろに木と接触させておく場合、次に大砲の後ろに何も接触させていない場合。どちらの選択がより遠くまで飛ばすのに適しているだろうか。ちなみに私の知人は大砲の質量M、砲弾の質量m、それぞれの発射後の速度をV,vとおいて運動量保存則を当てはめ、MV+mv=0よりv=-MV/mが成り立つから大砲ができるだけ後ろに跳飛ぶ場合すなわち後ろに木などを接触させないで飛ばしたほうがより遠くまで飛ぶといった。しかし彼もすぐ気付いたのか一方で火薬のエネルギーEとすればエネルギー保存則よりE=(MV^2+mv^2)/2が成り立つ。結果大砲の速度Vが小さいほうが弾のエネルギー、すなわち速さは大きくなることになる。とすれば後ろに木を接触させて大砲の速度をできるだけ小さくしたほうがよいということになると考え困惑した。さて、どちらの判断が間違っているのだろうか?注意しなければならいのは運動量保存則は外力が作用しない時に運動量の総和が一定に保たてれるということであり外力が作用する下では成り立たないという点である。すなわち木を接触させている場合明らかに摩擦力(木からの反作用に基づく)という外力が働いているのであり木と大砲が接触している場合に運動量保存則を当てはめることは到底できない。他方大砲と木の接触がない場合ならば、どうだろうか。言えることはmv+MV=0なる運動量保存則は地面との摩擦が全くなくて大砲が後ろの物体に永久にぶつかることもない究極の理想条件でのみ成り立つ。この運動量保存則からv=-MV/mを得る。他方E=(MV^2+mv^2)/2である。なんだこれではVが大きいほどvの絶対値が大きくなりエネルギー保存則のほうでは逆にvは小さくなることに変わりがないように思える。だが、火薬の爆発にともなう砲弾が飛ぶという過程は仔細にみれば、エネルギーのもとはつまり気体であったりするのだろうが、それらの物質はこの究極の理想条件では同じように永久運動し続けることになるだろう。というのも空気抵抗などの外力は一切無視するのがこの究極条件なのだから。そうすれば今度はエネルギー保存則はE=(MV^2+mv^2)/2とは違った形に改められなければならない。Vが大きいほどEも大きくなるがそのとき飛散する火薬物質の飛散エネルギー分を考慮しなければならなくなるからである。
<結論>木と接触させた場合エネルギー保存則を成り立たせることができるが、反面運動量保存則は成り立たない。そして木と接触させない場合、摩擦などの外力のない理想条件下で運動量保存則を成り立たせようと思えばエネルギー保存則の形は木と接触させた場合と同じにはならないのである。
にほんブログ村 科学ブログへ
にほんブログ村

船の振動

フェリーなどの船は知っているように海の状況だとか船の速度だとかに応じてある程度の振動が生じるものである
さて大きく分けて船の揺れは横揺れと縦揺れがあるが、横揺れの場合は現在はコンピュータ制御によって抑えられており縦揺れの場合も全長が150m以上のものであれば海の波長より大きいため振動することはないそうだ。ところで今でも使われているのか知らないが船の横揺れ防止のために船内に水を一部入れたタンクを備えていた。船の横揺れは場合によっては危険だから防止するための措置だったのだが・・少し奇妙ではないだろうか。なぜなら船の横揺れは波の振動と共鳴することによって生じるのだが船内のタンクの水もまた同じ共鳴数を示すことになりはしないだろうか?これは本当に横揺れを減衰させる効果など持っているのかという疑問がわく。しかし素朴な疑問はさしあたっておいておくとして現実には船内に水を入れたタンクを入れていたことが横揺れ防止に役立ったわけであるからそれについて考えてみよう。波の揺れと船の振動には時間的遅れがあることがまず注目すべきである。波が当たったとき船は波に対して揺れに90度の位相差がある。またタンクの水は船に対して90度の位相差がある。すなわちタンクの水は波と逆位相であり波と船の振動の共鳴を打ち消すことに役立っているのだ。

重たいものも軽いものも同時に落ちるか

「重たいものほど速く落ちる」というのはギリシャの賢人アリストテレスが唱えて以来ガリレオの登場まで2000年もの間信じられていた学説である。羽や木の葉と同じ重さの砂を落とすと空気抵抗などの影響で落ちる速度に差が出るが空気抵抗などの特殊な要因を考えなければ落ちる速度は同じだと多くの人が知っている。ガリレオは思考実験で重たいものと小さいものをひもで結びつけて落としたときどうなるかを考えた。重たいものほど速く落ちるとすれば軽いものは重いものより遅く落ちるわけだからひもの張力により重たい物体の落ちる速度を下げてしまう。結局重たい物体と軽い物体を結びつけた物体は重たい物体より重いにもかかわらず、重たい物体より遅く落ちてしまうという具合だ。こうして当時の定説の矛盾をついた。またガリレオは物体の鉛直な落下が坂で転がって落ちる運動と同じとみなせることを見出して実験により運動の落下に関して新しい知見を見出したそうだ。たしかに彼の洞察力や思考実験の創造性は素晴らしいと思うのだがもうひとつ賞賛すべきだと私が思うのは物体の形状などの諸性質を捨象したことだ。たとえば円錐を考えてみよう。(以下に円錐の向きをそれぞれ逆にした図を示す)

円錐を逆向きにすると円錐の形状からして重心の位置が上部にあがる。この状態でそれぞれの円錐を落下させると重心が下にある円錐の方が地面とぶつかるのは速い。正確に落下の等時性を確認するには重心の位置をそろえて落下させ落下から重心の位置が定めた場所を通るまでの時間が互いに等しいことを確認せねばならない。われわれが”ものが落ちる”といったときの”もの”とはなんであるか?これを物理学の言葉では質点(大きさがなく重さのみをもつ)と呼ぶ。史実は知らないがガリレオは細々とした物体の諸性質にとらわれる必要がないと知っていたのだろうか?そうだとすれば方法論におけるすぐれた哲学を持っていた人物だ。質点に注目して運動を記述することが、形状や空気抵抗などにとらわれるよりずっと包括的に運動を扱え結果として学問的体系をなし力学として成立するのである。

金属と自由電子

金属が他の物質と際立って異なる性質を示す代表として電気,熱伝導性の高さと延性,展性があげられる。いずれの性質も高校の教科書では金属には原子の束縛を比較的うけない「自由電子」が存在しておりこれが伝導性を担い,また圧力を加えられても木材などのように破断せず伸びたり曲げられたりする(延性,展性)のは金属結晶に外から力が加わることで結晶中の金属原子同士の位置にズレが生じても、自由電子の移動により結合は切れず、変形するにとどまるからとされる。つまり伝導性と延性、展性は同一に自由電子の存在に帰着して説明されているようだ。(少なくとも高校の化学では)だが、金属のうちもっとも伝導性が高いのは銀であるが延性が最も優れているのは金である。つまりこのことからも今述べた金属の諸性質を単に自由電子の性質からのみ決定することはできない。なぜならもしいずれの性質も自由電子の性質で説明できるのなら一様に延性がもっとも優れているものが電気伝導性ももっとも高くなければならないからである。よって自由電子だけでは一意的に説明できないことは確かだ。

空気を読む。から空気をつくる。へ 人間の精神の一個性

日本ではスーパーのレジ打ちは規則で待ち時間椅子に座っていられない。就業時間中なら客がレジにいない合間でもスマホ、や携帯をいじると客からたいへん不快だと店に連絡がはいりるそうだ。パンの上に少し重たいものをおくと苦言を呈する客がいる。しかしレジ打ちが客待ちの時座ったり、暇なときスマホいじることがいったいどうしていけないのか?不快、や常識的に考えておかしい、なんて言葉で人の自由を不当に制限する。どうして日本の社会は人の自由を抑圧させようとするのだろう。アメリカのマクドナルドでは日本ほどチキンナゲットやハンバーガーがきれいに配置されてトレイに乗せた状態で客に渡されない。日本人のなかには自国の几帳面さや仕事に対する実直さに誇りをもつのかもしれないが、トレイにきれいにのせることに時間をさくひつようはどれほどあるのか?待ち時間に与える影響と天秤にかけて考えているのか?トレイにきれいにのせたほうが売り上げが伸びるという科学的データでもあるのか?レジ打ちのパートは客のいない間座って休憩しといたほうが疲れが取れて仕事がはかどる効果があるかもしれない。普通の食パンは卵パックていどの負荷がかかったとしてパンの化学的成分?(炭水化物)は人間の味覚に影響を与える程度の化学変性をともなうのか?僕もまぁなんとなくスーパーのパートは客がいない間でもレジで立っていてほしい気持ちも、マックのセットがトレイにはきれいにのせられていたほうが気分がいいような気も理解はできる。
でも「理解してるってだけ」だ。。サービスを与える人間とサービスを受ける人間の関係性以外の部分で客は従業員に片時も気を抜くことなく気を張り詰めさせてでもおきたいのか?これは間違った発想だと信じている。
自分はこういった合理的妥当性が十分でない古い考えに基づく束縛をぶち壊したいと思ってる・・思ってるだけだけど。今のとこ。
なぜ壊したいかというと僕は人間が創造性をうみだすためには人間の精神は理性に基づき自由に表現されてしかるべきものだと信じているからだ。「空気を読む」ではなく「空気をつくる」ことが大切だ。既存の枠組みに新たな息吹を吹き込むことを恐れてはならない。たとえそれが既存の「空気」と相いれなかったり別の種類の「空気」とぶつかることになったとしても。
一つ、前述の内容に関連してエピソードを紹介する。XJAPANのドラマーとして知られ、音楽家のYOSHIKI氏は小学校の頃給食で出されるパンを焼くためにトースターを学校に持参していたところ教師から「あなた一人だけトースターで食べちゃほかの子に不公平でしょ」などと注意されたそうだ。面白いのはYOSHIKI氏は次の日トースターを2つもってきたってとこwwww
制度に屈しない精神の自由性を信じた人間の行動でしかも面白いwww
またB’zのボーカルとしても知られる稲葉浩志氏は数学教師になったとき当時金髪だった髪を上の人間から「髪をもどすか学校を辞めるかどっちかにしろ」と言われきっぱり教師を辞めたのは痛快だww
これは私の予想だが稲葉氏は自由を不当に制限する環境に耐えられないと確信したのだろう。しかし制度に合わせず自分の精神の自由性を貫いたことは尊敬に値する。少なくともまだ私にはできないことだ。
客と従業員。上司と部下。教授と学生。同じ人間なんだから失礼がない限りでフランクであっていいと思う。
無駄に遠慮しない関係があって初めて言いたいことを言い合える。言いたいことを言い合って遠慮しないで済む順序のほうがただしいかもしれないが。
現在2014年3月5日日韓の関係は悪化しており首脳会談は実現していない。韓国は過去の過ちを日本が反省しない限り首脳会談をする予定はなさそうだが、まず日韓がわかりあえるのかどうなのかも含めてとりあえず話してみることが大切だ。agree to disagree(同意しないことに同意)することになるとしてもまずは話さないといけない!険悪でくすぶっただけのな空気はうちやぶらねばならない。新しい息吹は誠実さと勇気をそなえた行動がもたらす。