歴史を書き換えているのは、誰か
歴史を書き換えているのは、誰か

story teller 5

朝日新聞や中韓が好んでよくつかうワンフレーズに「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(元西ドイツ首相ワイツゼッカーの演説より)があります。
しかし、これも、演説全文を読むと、朝日等の得意の歪曲でした。全文を読むと、真逆の事が、書いてあります。
歴史の不都合部分に目を閉ざし、歴史を書き換えているのは、誰でしょうか


中国と朝日新聞は、現在進行形の中国の侵略と占領行為は、一切語りません。
中国のチベット侵略・占領・抑圧を、朝日は「解放」「民主化」だと以前に書きました。
新疆地区の自由を求めるデモ行進を、朝日新聞は「反乱」と、書きました。

また、中韓以外は、そういう表現を使わないが、中韓と朝日は、終戦記念日になると、いつも日本政府に対して「アジア諸国への侵略者、加害者としての反省」を促します。
一方、当然ながら、当のアジア諸国は、日本に対して、そういう単語を使いません。アジア諸国は、日本の米英欄との戦争で、長い侵略と搾取から解放されたからです。


誰が、実際のところ歴史を書き換えているのでしょう。

3贋作


1、やはり朝日は、今年も書いた

①8月13日に、安倍首相に対し、「歴史を書き換えてはいけない」と書き、15日を前に阿倍首相に対して、戦没者追悼式典のスピーチの内容について、事前に警告した。下記記事参照。

②8月21日 朝日は声の欄で、安倍首相の追悼式典のスピーチを批判した「アジア諸国の人々への思いに触れなかったことは納得できない」と。

朝日新聞社説 「戦後69年、歴史を忘れぬ後代の責務」
2014年8月13日より抜粋 
引用

安倍首相は昨年4月、サンフランシスコ講和条約発効を記念する主権回復式典を初めて催した。「国破れ、まさしく山河だけが残ったのが、昭和20年夏、わが国の姿でありました」。敗戦の悲惨を語り、その後の復興をたたえた。
 一方で4カ月後、8月15日の全国戦没者追悼式では、アジア諸国への加害について、いっさい言及しなかった。
「屈辱から栄光へ」という受け入れられやすい物語を強調し、不都合な史実には触れない。必ずしもうそではない。しかし、歴史書き換えの一歩が潜んでいるのではないか。
もちろん、自国にもたらされた戦争被害を思い出すのは、平和思想の起点として大事だ。

 ■平和を尊ぶために
 だが、当時の日本軍がアジア諸国に戦火を広げ、市民を巻き込んだ歴史を忘れるわけにはいかない。平和を何よりも大事にする者としての義務である。
 それを自虐史観と呼ぶのは愚かである。表面的な国の威信を気にして過去をごまかすのは、恥ずべきことだ。過去から教訓を正しく引き出してこそ、誇りある国だろう。
 加害の歴史を記憶していくのは、よほど自覚しないと難しい。手を下した当事者は口をつぐむ。聞くほうもつらい。被害者やその遺族の居場所は、ほとんどが国外だ。
 そして69年が過ぎた。特攻隊の物語はベストセラーになるが、戦争加害を正面から扱う文学で読み継がれているものが、どれほどあるだろう。

 後代の者の務めは、忘れがちな歴史を忘れないと、折に触れ内外に示すことだ。だからこそ8月15日、歴代首相が戦没者追悼とともに加害責任に触れる慣例が、意義を持ったのだ。
安倍首相も、第1次政権の07年は「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と述べた。にもかかわらず、昨年は異なる選択をした。今年こそ、日本国民を代表して再び言うべきである。

引用終わり

2、一方、讀賣新聞は、歴史の書き換えは誰がと反論した。

2贋作

以前は、メデイア同士は、お互い批判しないという、暗黙のルールがあったようです。しかし、つい最近は違います。讀賣・産経・日経は、朝日・毎日の報道を、批判ないし揶揄しています。朝日・毎日が一線をこえた、大きく国益に反する看過できない報道が多いためでしょう。

「歴史の書き換え」
2014年8月17日 東京讀賣新聞朝刊 より 

引用
都合の悪い事実には目を背け、自らの「仮説」に都合のよい事実だけを取り上げて主張することを「上からの演繹(えんえき)」と呼んで戒めたのは、戦後保守派の評論家・竹山道雄氏だ。
 尖閣諸島を巡る問題で、中国や一部の外務省OBがこうした手口を使っている事例を、筆者は近著「領土喪失の悪夢」(新潮新書)で紹介したばかりだが、朝日新聞も同じ手口を使うことに何のためらいもないようだ。
 いわゆる従軍慰安婦の募集が強制連行だったとする過去の記事について、朝日は8月5日付朝刊で一部誤りを認めた。
 検証記事などによると、朝日は、元慰安婦の一人が強制連行されたように初報した後、元慰安婦が宴席での芸事を学ぶ「キーセン学校」に通い人身売買されたことを知ってもなお、キーセンのくだりには触れずに続報を書き続けた。自分の「仮説」(慰安婦=強制連行)に都合の悪い事実は伏せた、と言わざるを得ない。ところが、朝日は「意図的な事実のねじ曲げなどはありません」と結論づけた。

 「不都合な史実には触れない。必ずしもうそではない。しかし、歴史書き換えの一歩が潜んでいるのではないか」
 朝日は13日の社説で、安倍首相の昨年の全国戦没者追悼式のあいさつを巡り、こう警鐘を鳴らした。

しかし、従軍慰安婦報道では、朝日自身が結果的に、「歴史の書き換え」に加担していた責任があるのではないか。朝日新聞の見解を聞きたいものだ。(小川聡)

3、有名なワイツゼッカ―演説の真実は

日経新聞「ワイツゼッカー演説の謎(風見鶏)」
   2014年8月24日 日経新聞 より。
 
この記事で、再び、朝日新聞等の歪曲報道が、暴かれています。

左翼文化人、中国、韓国が、日本へのあてつけに、よく引用する
ワイツゼッカーの演説の真意をここで、日経新聞の報道を借りて、紹介します。
私が日頃主張するのは、現在は、戦争をした人たちの曾孫の時代となりました。その曾孫たちのCredit cardから、戦後補償・歴史反省の為の友好事業を、今でも要求し、それを払えと論陣を張る中韓・朝日・毎日新聞の論陣こそが、この演説と歴史の歪曲者です。


下記演説も、実は、下記太字下線の部分が、真意なのです。それを朝日等は報道せず、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」というワンフレーズだけを、切り取り 且つ歪曲して、反復して報道しています。それを、安倍首相だと、批判します。

中国の巨悪(大規模侵略と弾圧)を民主化と言い、大東亜戦争時の米英欄との戦場がアジア諸国であったため、日本を「アジア諸国への侵略」と罵り、反省を要求する。
ワイツゼッカーの言葉を、中韓・朝日は、全文を知りながら、完全に歪曲使用しています。

引用:
 (永井清彦訳、以下同じ)
 1985年5月8日、ドイツの敗戦40周年にあたり、ワイツゼッカー西独大統領(当時)が連邦議会で演説した。そのなかの有名な一節である。
 安倍晋三首相は、来年8月15日に戦後70年にちなむ談話を発表する。首相周辺は「未来志向の内容にしたい」と語る。全体の内容にもよるが、未来に目を向ければ、ワイツゼッカー演説を引用して「過去に目を閉ざすな」とする批判が予想される。
 ワイツゼッカー演説とは何だったのか。日経テレコンで検索すると、朝日と日経で85年5月9日付にボン発の記事があった。演説の引用部分を紹介する。
 「大統領は『われわれすべてが過去を受け入れねばならない』として、ナチスに対するドイツ人の責任を説いた」(朝日)
 「『五月八日は人々をナチの暴虐から解放した日だ』と述べるとともに、ドイツの若い世代に『他の民族を憎んだり敵視したりせず、仲よく共存していくことを学んでほしい』と呼びかけた」(日経)
 あの一節はない。
 「過去に目を閉ざす者は現在に盲目となる」を日本のメディアで最初に見出しにしたのは、調べた限りでは、演説全文を掲載した岩波書店の雑誌「世界」85年11月号である。同年11月3日付朝日新聞のコラムもそれに触れている。
 岩波書店は、86年2月には演説全文を掲載したブックレットを出版した。新旧版を合わせ、これまでに21万部売れている。91年には訳者の永井氏による単行本「ヴァイツゼッカー演説の精神」も出版され、冒頭の文章にあの一節がある。
 あの一節が有名になるのはこのあたりからだろう。それは韓国の記者が歴史認識をめぐって日本を批判する際にも使われてきた。例えば朝鮮日報の金昌坤記者は、これを引用して「大統領の言葉は、初めから日本社会に空虚なこだまとして響いたのかもしれません」(96年8月23日付南日本新聞)と書いた。
 当時のボン特派員たちはなぜ書かなかったのか。
 旧版岩波ブックレットの表紙をめくった所にヒントがあった。コール西独首相がレーガン米大統領らとともに、ビットブルク墓地を訪れた写真である。
 ナチス親衛隊(SS)の戦死者も埋葬されているために当時、世界中から批判された墓参だが、ワイツゼッカーはレーガンに謝意を述べた。演説は墓参の3日後だ。それを知る特派員があの一節を引用しなかったのは不思議ではない。
 当時の状況は忘れられ、あの一節は残った。演説は過去への謝罪を説いた、と歴史に刻まれた。
 しかし思想史研究者でもある有馬龍夫元ドイツ大使は自らのオーラルヒストリーで「演説に謝罪あるいはそれに類する表現は見当たりません」と述べる。有馬氏は演説中の次の2点に注目する。
 「民族全体に罪がある、もしくは無罪である、というようなことはありません。罪といい無罪といい、集団的ではなく個人的なものであります」
 「今日の人口の大部分はあの当時子供だったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手をくだしてはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません」
 日本の政治家が語ったら「妄言」と批判されるかもしれぬ内容である。
 ワイツゼッカー演説は半ば「神話」になった。神話と史実とは違う。
(特別編集委員
伊奈久喜)
【図・写真】敗戦40周年で演説するワイツゼッカー西独大統領(1985年)=AP(C)Bundesregierung/Wienke


2014年8月26日
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[2014/08/28 23:50] | 日本国家の問題 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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