有限な時間の果てに

平凡なイマを積み重ねてかがやくミライへ





「欠くこと」について私の考え

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photo by photo AC


今週のお題「書くこと」

はてなが設定した今週のお題は「書くこと」です。しかし、この「書くこと」については、すでにたくさんの人が書いているので、私は「欠くこと」について書いてみることにします。


「かくこと」違いですね。


「欠くこと」とは

ここで、「欠くこと」とは、欠点を持っていることです。


優柔不断だとか、飽き性だとか、いろいろあります。


また、欠点も見方によっては、長所ということもあるでしょう。


自分が「欠くこと」

では、自分が欠点を持っていることに対して、普通どう思うのでしょうか。


やはり、気になったり直したいものでしょう、あるいは、欠点を活かし長所にしたいということもあるでしょう。


特に、欠点と認識していればいるほど、他の人に触れられたくないものとなったりします。


そう、欠点は隠したいものや矯正したい対象のものなのです。


他人が「欠くこと」

これが他人の欠点となると話が変わってきます。


例えば、欠点のない人、見かけ上、欠点が見つからない完璧な人にどのような印象を持つでしょうか。


異性であれば、高嶺の花のように感じたり、お高くとまったりするでしょう。同性であれば、嫉妬や手に届かない人ということになるでしょうか。


完璧な人に対しては、遠い存在のように感じるのです。


反対に、欠点の種類にもよりますが、欠点のある人に対しては、愛着が湧いたり、親近感を感じたりします。


「欠くこと」の魅力

このように自分の欠点と他人の欠点では、事情が異なります。


自分の欠点はできるだけ失くしたいもので、他人の欠点はある程度あって欲しいものなのです。


こう考えると、自分の欠点も許せるようになるかもしれません。


人間、穴のあるぐらいのほうが魅力的なのです。

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