1945年の核実験を子供時代に見たと語る住民

 【トゥラロサ(米ニューメキシコ州)】米国がここニューメキシコ州の砂漠で、世界で初めての原子爆弾の実験を実施してから70年近く経過した今日、連邦政府の研究者たちが今月、同州を訪問し、核実験により一部の住民ががんを発症したかどうか調査する予定だ。

 今月25日に始まるプロジェクトの一環として、米国立がん研究所(NCI)の研究者たちは1945年の初の核実験である「トリニティ実験」が実施されたころに同州に住んでいた人々と面談し、実験によって汚染された可能性のある食料、牛乳、水を摂取した影響を査定することにしている。

 核実験場に近い村落(多くはヒスパニック系)の人々は、謎めいたがんの発症例がニューメキシコ州南中部の一帯で頻発し、多くの家族が死亡したと長年主張してきた。そして政府に対し、核実験に伴う放射線量が一定の役割を演じたかどうか判断するよう求めた。

 トゥラロサ市のレイ・コルドバ市長(75)は「がんで愛する人を失わなかった家族はこの地域で一つもないと思う」と述べた。トゥラロサは古いスペイン系入植地で、人口は3000人。トリニティ実験現場から約35マイル(約56キロメートル)離れている。同市長自身、きょうだい1人を多発性がんで失った。息子は脳腫瘍にかかっているという。

 トリニティ実験は、70年近く前の1945年7月16日に行われた。今回の調査は、トリニティ実験の健康上の影響に関するこれまでで最も精緻な調査になる見通しだ。この核実験の数週間後、米国は初めて広島に原爆を投下した。米政府の雇った科学者たちは当時、第2次世界大戦を終わらせたいと希望して核兵器の開発を急いでいた。

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 今回の調査は、核開発を目指したマンハッタン計画の暗い側面を探ることになる。調査はまた、核実験に伴う放射能にさらされた住民が潜在的に連邦プログラムに基づく補償金を受けることにつながり得る。補償金は現在、トリニティ実験場近くに住んでいた個人を給付対象にしていない。

 今回の調査を指揮する政府の自然科学者で放射線量の専門家スティーブ・サイモン氏は「放出された放射性物質の風下にいる場合、汚染される潜在性があるのは極めて明白だ。そして汚染されていたら、健康上のリスクが高まるのもまた極めて明白だ」と述べた。しかし「それを計量化するにはまだ至っていない」と語った。

 核実験の影響によってニューメキシコ州の人々がどの程度の放射線量を吸収したのか依然として不透明だ。核実験に伴い裏庭は灰で覆われ、家畜は皮膚を焦がされた。従来の調査は、トリニティ実験に伴う被ばくの全体像を完全には検討していなかった。

 ウォール・ストリート・ジャーナルが閲覧したこれまで未公表のNCI報告草案では、核実験にさらされた数歳児は、その体の大きさや食事により、甲状腺で大きな内部被ばくを受けた公算が大きいという。

 この報告草案によれば、核実験で被ばくした1歳児の甲状腺被ばく線量は大人たちが受ける線量の約30倍と推定された。

トゥラロサ市のコルドバ市長の姪ティナさん(右)と母親。ティナさんはがん罹患率の調査を政府に求めている団体の責任者

 この2008年の報告草案は、入手できる限定的なデータに基づき、暫定的な推計が含まれている。専門家たちは、これほど昔の出来事の放射線量の影響を再構築するのは難しいと指摘した。

 それでも米疾病管理予防センター(CDC)による2009年の報告は、トリニティ実験現場近くに住んでいた人々は通常、地元の野菜や家畜製品を摂取していたから、内部被ばく線量は著しい健康上のリスクを及ぼしたはずだと述べている。

 CDCリポートの主要研究者だった医療専門家ジョー・ションカ博士は、今回の新たな調査の結果、トリニティ実験場の風下に住んでいた人々が、1950年代や60年代に地上核実験が実施されたネバダ州の実験場近くに住んでいた人々よりも、高い放射線量を受けていたことが判明するだろうと述べた。特定の期間にわたってネバダ実験場の風下に住んでいた個人は、連邦補償の給付対象になっている。

 ションカ博士は、トリニティ実験の現場からこのようにすぐ近くに住民が住んでいたことを今回の調査中に知って驚いたと述べた。一部の人々は20マイル(約32キロメートル)以内に住んでいたという。さらに、地元民の生活を維持するのに必要な食事で、核実験で重度に汚染された公算が大きいシスターン(洗浄水槽)の水が使われていたことなどから、トリニティ実験は、米国本土で実施された他の核実験と比較してもユニークだと述べている。

 ションカ博士は「トリニティ実験は、他の核実験場で経験したよりもはるかに広範な汚染があった」と述べ、「一部の人々にとっての汚染度は、ネバダ実験場よりも高くなるのは疑問の余地がない」と語った。

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