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それは一見すると、まるで貴人が住まう雅やかな屋敷。けれど屋敷の周辺には不気味な霧が漂っているし、内側からは数多の妖気が蠢くのを感じる。
兄様と過ごした幽世の森は、こことは違い清浄な気で満ちていた。大木からは清涼な水の音が聞こえたし、動物たちは皆穏やかで賢かった。
そんな囲いの中で過ごした私にとって、この屋敷はひどく物々しく感じられた。
「さあ、このお面と衣をお被り。少しは安心するだろう?」
そう言って兄様に狐のお面と藍色の衣を被せられる。狐のお面は上半分だけのもので、紅色の組紐で落ちぬよう固定された。藍色の衣は兄様のものだから、頭から被っても身体全体がすっぽり収まる。
兄様も上半分だけの狐のお面を被ったのを見て、私は首を傾げた。
「どうしてリオウお兄様も付けなさるの?」
「リキとお揃いだから」
そんな理由とは。もっと深い意味があるのだとばかり。
単純な理由に脱力して、私はがくっと肩を落とした。
「リキ」
少し固さを帯びた兄様の声に、どうしたのかと顔を上げる。
「何があろうと、決して応えてはいけないよ」
普段の柔らかな声とは違う、真剣な声に、私はこくりと頷いた。
「はい、兄様。リキは兄様以外とはお話しいたしません」
「名を聞かれても、教えてはいけないよ?」
「もちろんです。分かっております」
名とは、真名のこと。この世界に生きる者にとって、真名はとても大切で、危険なものだ。
己の本質を表す真名を他者に知られることは、己が命を握られるに等しい。だから通り名を使うことが普通なのだ。
けれど通り名でも、力ある妖や人間はその者を支配できる。だから無力とまではいかなくとも柔弱な妹を、兄様は心配しているのだろう。
「良い子だ」
リオウお兄様は雰囲気を和らげると、私の頭を優しく撫でた。
兄様に頭を撫でられるのは結構好きだ。なぜと言われると困るのだけれど、とてもほっとするのだ。
――やっぱり身内だからかなあ。
未だに未知の世界に対する不安と恐怖は消えないけれど、それでも先ほどよりは気分が落ち着いたのが分かる。
「さて、行くとしよう」
兄様は衣を被ったままの私を腕に抱き上げると、牛車から降り立つ。それと同時に車は消え去った。残されたのは、大虎の妖魔だけ。
「影に潜め」
『――御意』
低い声が聞こえたと同時に、妖魔は地に沈むように消えた。
突然の出来事に、妖魔が消えた場所を凝視する。
消えたのにも驚いたけれど、今しゃべった?
「あれは姿を隠してはいるが、側に控えている。不届きな輩が居たならば、すぐさま喰らい付いて噛み裂くよう言ってある。だから安心してね?」
私が驚いているのを察した兄様は「妖魔については後でまた教えてあげる」と小さく告げた。
「どんな会合になるか、楽しみだねえ」
兄様はくすくすと笑いながら、軽い足取りで屋敷へと踏み入った。
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