なぜ従順に殺害されてしまったのだろうか
イスラム教過激派組織ISIS(イラク・シリア・イスラム国)が、人道支援団体メンバーのスコットランド人デービッド・ヘインズ(David Haines)さんを殺害した。13日の報道である。首をナイフで切断するという残酷な殺害である。同種の殺害として3人目になる。
一人目は、8月19日、米国人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー(James Foley)さん、二人目は、9月2日米国人ジャーナリストのスティーブン・ソトロフ(Steven Sotloff)さんである。
私はフォーリーさんが殺害されたおり、残酷性が弱められたとされる動画をたまたまネットで見た。実際の殺害シーンはボカされていた。断頭後の死体も見なかった。あの動画はあくまで処理されたものだろうと私は思っていた。
その後、「あれは本当に処刑の映像なのか」という疑問を投げかける報道を見かけた。もしかすると私が見た映像はISISが流した映像そのものであったのかもしれない。つまり最初から残酷性は弱められるように処理されていた映像だったのだろうか。
疑問を解明したいとは思わなかった。リアルに首を切り裂いて殺害されるようすを見たいとは思わなかったからだ。
あとの二人についても同様である。なんとなく、海外報道が取り上げる一部の映像を見ただけだった。
私は、ある衝撃的な映像報道がなされたとき、当然持つべきはずの印象とは別の印象を持つことがある。疑問と言ってもよい。映像が想定する印象を多くの人が想定どおりに抱いて感情的になっているとき、そこからずれて、些細なことに、なぜなんだろうなあと一人考え込んでしまう。
今回の事態で思ったことは、殺害者はなんでオレンジ色の服を着せられているのか、ということだった。なにか特別な意味があるのだろうか?
自分なりに調べてみたが、わからなかった。すごく基本的なことで、こんなことも私はわからないのかというような知識が背景にあるように思えたが、わからないものはわからない。報道では、"orange jumpsuit"(オレンジ色のつなぎ服)と表現されていることが多いが、あれはつなぎ服ではない。
いや、そうじゃない。最初の殺害映像でわかっていたともいえる。囚人服である。グアンタナモ湾収容キャンプの囚人はオレンジ色のつなぎ服を着せられていた。また、米国では"Orange Is the New Black"というドラマがあるが、ここでいう「オレンジ」は囚人服のことである。
これはさらなる困惑を私に引き起こした。ISISがやっていることは米国民にわかりやすいビジュアル表現としてオレンジ色の囚人服を着せている、ということのだろうか? すると、ISISの行動というのは、広義にアメリカ文化なのだろうか。
かくしてわからない。しかし、それはもしかすると些細なことかもしれない。
もう一つの疑問は、なぜ従順に殺害されてしまったのだろうか、ということだった。
どうせ殺されるのである。頭突きでも歯で噛みつくでもなんでもして殺害者にわずかな痛みくらい与えて死んでもいいのではないか。あるいはあらん限りの呪いの言葉を残して死ぬことはなかったのだろうか。サムソンのように。
サムソンは主に呼ばわって言った、「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください」。
いや、これもそうじゃないのだろう。これは断頭台に立つ人とは違う。最後の自由は実際には与えられていないのだ。
自分が彼らの立場に立ったとき、どうするだろうか。
自分が愛する人に、自分の死の真相と、最後の姿を伝えたいと思うのではないだろうか。
おそらくそうだろう。確信はないが。こうしたとき、欧米文化でのなにか基本的な対応というのもあるのかもしれない。
あるいは、最後のあがきをした人間が他にいたかもしれないが、ただ殺されて闇に消え、映像として使えるのがこの三人だったということかもしれない。
もう暫く考える。そして、三人の死は、死の威厳というものかもしれないと思った。
彼らにはその処刑の理由はない。彼らは無罪である。無罪であるものに死を与えることは不正義である。
彼らは不正義を、静かに最後に、訴えていた、ということかもしれない。
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