新潮文庫100年 創刊当時の本 復刻へ9月15日 6時39分
現在も発行されている文庫本のシリーズの中で最も古い、新潮社の「新潮文庫」が今月、創刊から100年を迎えるのに合わせ、創刊当時の装丁や印刷を再現した復刻本が発行されることになりました。
「新潮文庫」は大正3年に海外の名作を安い価格で読者に届けることを目的に創刊され、当時25銭から30銭という価格と、持ち運びしやすい小さなサイズで親しまれ、後の「文庫本」の先駆けとなりました。
その後は夏目漱石の「こころ」や太宰治の「人間失格」など日本の文学作品もシリーズに入るようになり、これまでに1万作以上、およそ16億3000万冊が発行されています。
今月18日で創刊から100年になるのを記念して、新潮社は創刊当時の文庫本を復刻することになりました。
復刻されるのは、最初期の新潮文庫に収められていたトルストイの「人生論」や、ツルゲーネフの「はつ戀」など5作です。
比較的安価な本だったにもかかわらず、創刊当時の装丁は表紙を二重にする「継ぎ表紙」や、立体的な模様を作る「箔(はく)押し」など凝った技法が使われていて、復刻本ではこうした技法のほか、本文の印刷の状態も再現されています。
新潮社文庫編集部の私市憲敬部長は「世界の名作をより多くの読者に届けたいという、創刊当時の編集者の思いを感じてほしい」と話しています。
読書文化を支える「文庫本」
日本で文庫本が最初に創刊されたのは、明治時代末期から大正時代初期にかけてです。
当時、国内外の文学作品を読みたいと求める読書人口が増えたことや、出版業が盛んになったことを背景に、「袖珍(しゅうちん)名著文庫」や「立川(たつかわ)文庫」などのシリーズが相次いで創刊されました。
中でも海外の名作の翻訳は、高価であったことや、その多くが一部分しか訳されていなかったことから、読者から安く全文が読める本を求める声が高まっていました。
そこで、新潮文庫は大正3年、海外の名作の「全訳」を読者に届けることを目的に創刊されました。
当時の新聞に掲載された新潮文庫の広告には、「責任ある全訳」「未曾有の廉価」という売り文句が大きな文字で印刷されています。
新潮社で長年装丁を担当し、ことしの復刻本にも携わった大森賀津也さんは、「当時、この値段でこれだけ凝った装丁をしたことから、編集者の意気込みがうかがえる」と話しています。
当時は、一度英語などほかの言語に翻訳されたものを日本語に翻訳するケースも多く見られましたが、創刊したころの新潮文庫は、日本で教育を受け、元の言語から日本語に直接翻訳できる実力派の若手を起用していました。
こうした野心的なねらいをもって創刊された新潮文庫は、昭和3年には国内の文学作品をシリーズに加えました。
その後、太平洋戦争の影響で発行が中断されますが、戦後、昭和22年に川端康成の「雪国」の発行で再開し、これまでにおよそ1万作の文庫本を世に送り出してきました。
新潮文庫に続き、岩波書店の「岩波文庫」、改造社の「改造文庫」、戦後にはほかの大手出版社も文庫シリーズを次々に発行し、古典だけでなく、時代ごとの話題の本やベストセラーが日本のどこでも安価に買える読書文化を形作りました。
出版文化に詳しい明治大学の鹿島茂教授は「これだけの数の文学作品が、文庫という簡便な形で流通している国はほかになく、日本独自の読書文化を作り出したといえる」と話しています。
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