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■ 60年目の戦後 ■

<中> 傷つけた心癒やす努力を

元女優 山口淑子さん

「李香蘭時代の国策映画は中国人の心を踏みにじったと後悔しています」と語る山口淑子さん

 小泉純一郎首相の靖国参拝問題を一つのきっかけに、中国人の抗日の感情が噴き出したのを、私は理解できるんですよ。

 十八歳で中国人女優「李香蘭」としてデビューした直後、生まれて初めて祖国日本の土を踏みました。連絡船を下りようと旅券を見せた時の入国係官の言葉が心に突き刺さりました。

 「一等国民の日本人が三等国の中国の服なんか着て恥ずかしくないのか」。祖国の人々が、私が生まれ育った母国の中国を見下すことが悲しかったし、そういう日本が嫌いでした。

 靖国神社はホームページで、一八九四(明治二十七)年の日清戦争から日中戦争、太平洋戦争までの戦争を「皮膚の色とは関係ない自由で平等な社会を実現するため、避けられなかった戦い」などと説明しています。

 でも私は、「アジアを解放するための戦争だった」という後から付けた理屈で、自国の加害行為に目をつぶり、独り善がりの美しい歴史につくりかえてはいけないと思う。

 本当に中国を対等だと認めていたなら、「満州国」という傀儡(かいらい)国家はつくらないでしょうし、中国人を差別しなかったはずです。

 小泉さんには、日本の戦争指導者を祭る靖国神社の参拝が、どれだけ中国人の心を傷つけるか理解してほしい。

 旧満州の撫順(ぶじゅん)に住んでいた十二歳の時、憲兵らが中国人労働者の頭を銃の台尻で殴る拷問を目撃しました。後から調べると、抗日ゲリラへの報復で、四百人とも三千人ともされる中国人が集団虐殺された「平頂山事件」(一九三二年)の一場面でした。

 最近よく、「大東亜戦争を侵略戦争というのは誤った歴史観だ」という声を聞きますが、私が見聞きした限りでは、少なくとも中国に対しては、侵略という意味合いが強かったのは間違いない。

 六十年前の夏。当時暮らしていた上海の新聞は「李香蘭、銃殺刑へ」と報じました。「中国人でありながら、中国を冒涜(ぼうとく)する映画に出演して日本の大陸政策に協力し、中国を裏切った」という罪状で軍事裁判を受けたのです。

 その時は日本人だと証明でき、死刑にはならなかったのですが、戦後四十年ほどして、出演した国策映画を見た時、眠れないほど打ちのめされました。旧日本軍に両親を殺された抗日少女が、日本人の男に殴られ愛に目覚めるという、中国人にとってあまりに屈辱的なストーリーでした。

 いまだに戦争被害に遭われたアジアの方々から個人補償を求める声が上がりますね。私が副理事長を務める「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)は、日本政府と国民の協力で元「慰安婦」の方々に、おわびと反省を表す事業をしていますが、政府としてやるべきことはまだまだあります。

 多額の政府開発援助(ODA)で「十分償った」という声も聞きますが、政府の個人への戦後補償の仕方を見ていると、人間の尊厳を傷つけられた人たちの心の痛みを癒やす気持ちが足りない気がします。

 やまぐち・よしこ 本名は大鷹淑子。中国の旧奉天(現瀋陽)近郊の北煙台生まれ。85歳。中国人女優・李香蘭としてデビューし、歌手としても活躍。戦後は日本名で映画に出演。外交官と結婚して引退するが、テレビ司会者として復帰し、パレスチナなどを取材した。参院議員も3期務める。中国映画「萬世流芳」が今年7月末、61年ぶりに上映された。14日から劇団四季による「ミュージカル李香蘭」が上演される。

(2005年8月14日)


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