山口淑子さん死去:「祖国」と「母国」激動の人生
毎日新聞 2014年09月14日 23時35分(最終更新 09月15日 01時03分)
戦時中は日本人に愛される中国人を演じる旧満州国スター、李香蘭。戦後は参院議員などとして両国の友好に尽力。日本を「祖国」、中国を「母国」と呼んだ山口淑子(本名・大鷹淑子)さんは、両国のはざまで激動の人生を歩んだ。
山口さんが李香蘭として生きた時代は「満州国」の興亡と重なる。日中戦争突入後、1938年に映画デビュー。翌年から公開された大陸3部作と呼ばれる映画がヒットした。
一方で、日中戦争は解決のめどがたたず泥沼化。3部作の第2弾「支那の夜」には、当時の日本のあせりとおごりを象徴するメッセージがこめられている。李香蘭演じる中国人少女が日本人船員(長谷川一夫)に平手打ちされ、愛に目覚めるシーン。観衆は船員を日本、少女を中国に置き換えて見入った。日本人は、か弱い女・中国が、強い男・日本を慕い、なびく幻想を抱いた。中国人は暴力によって祖国が服従させられる屈辱と受け止めた。
敗戦で一転、山口さんは中国軍事法廷で厳しく追及された。主な理由は「支那の夜」への出演。日本国籍が証明され、死刑を免れた山口さんは、晩年「なんて愚かだったのか。どうしてこういうフィルムに喜んで出ていたんだろう」と悔いた。
戦後は芸能界に復帰するとともに、参院議員として、日中友好を中心としたアジア外交に取り組んだ。
◇波乱の国際人
元時事通信記者で、元日銀副総裁の藤原作弥さんの話 戦前の日中戦争下、二つの故国のはざまで悩んだ経験から、戦後は「世界の中の日本」のアイデンティティーを確立しようと自ら実践した。ワイドショーのキャスターとしてベトナム戦争や中東紛争などを取材し、政治家に転じた後はハト派として日中友好などアジア外交を進めた。激動の昭和を駆け抜けた華麗にして波乱の人生を送った国際人だった。
◇純粋で優しい人
アジア女性基金の呼びかけ人として共に活動した大沼保昭明治大特任教授の話 とにかく純粋で優しく思いやりのある人でした。元慰安婦の方の中に、戦前、李香蘭の映画ロケを見たことがある女性がおり、親しくなった大鷹さんは電話で繰り返し女性の話を聞いて慰めておられた。被害者への償いと、一人一人の苦労を癒やすことという基金の原点を実践された。知的好奇心にあふれ、謙虚な方でした。