itou - メンタル,人生 09:00 PM
職名に大した意味はない。自分の成功は自分で評価するべきこと
99U:私のお気に入りのキャリアレッスンのひとつは、映画『ハーフ・ベイクト』でデイブ・シャペル氏が教えてくれたものです。映画の冒頭、シャペル氏が演じるサーグッドが、自身のキャリアパスについて語る場面があります。フロアをモップ掛けしながら彼は言います「俺はといえば、メンテナンスアーツのマスターだ。まあ、掃除係と呼ぶ奴もいるけどな」
職名には大した意味がない
職名は必要なものですが、詐欺的な要素も持っています。職名は、その人の能力や重要度、生活水準などを推し量るカンニングペーパーとしても使えます。その結果、私たちは高尚な職名を成功と同等に扱います。社員が1人しかいなくても、起業家たちが自分のことを「CEO」と呼ぶのはそのためです。サーグッド氏は、自分が本当には何をしているかを世界に知らせたくはありません。なので、彼は自分の職名を少し誇張したというわけです。
多くの人が、キャリアパスとは、より良い職名をゲットすることだと思っています。しかし、「設備管理のグランド・マスター」と呼ばれながら、サーグッド氏のように床にモップを掛けるだけの人生だってありえます。あるいは、「リードデザイナー」と呼ばれながら、わずかな人にしか読まれない社内向けニュースレターを作っているかもしれません。どんな職名で呼ばれようと、その人が、やりがいがある重要な仕事をしている証明にはなりません。
職名が、やりがいのあるプロジェクトを与えてくれるわけではありません。また、高い報酬を約束するわけでもありません。優秀な人たちと一緒に働ける保証にもなりません。聞こえの良い職名を持つのは、高級車を買うようなものです。みんなから「わお!」とか「すごいですね」と言ってはもらえます。しかし、それで深いレベルの幸福や充足感が得られるわけではありません。
これが、職名なんて意味がないと言う理由です。もっとも、職名は外部の人に自分を証明する手段でもあります。自分がしていることを、簡潔に、かっこよく表現できたら、人生はより楽になります。誰かと世間話をすると、必ず「ところで、お仕事は何をされていますか?」と尋ねられてしまいます。誰もが、ガールフレンドの父親がすぐに理解できるような通りの良い職名を持っているとは限りません。「マーケティング・コンサルタントとしてスモールビジネスを立ち上げたところです」と言うのは、「医者です」と言うのに比べて、わかりやすさでははるかに劣ります。私たちは日々、この古めかしいメカニズムを通して、自分とは何かを証明する必要に迫られるのです。
自分の仕事を簡単に説明できないのは良いこと
私がかつて参加したカンファレスで、あるスピーカーが、「お仕事は何ですか?」という質問を世間話から追放しようと呼びかけていました。彼は、そのかわりに、相手が情熱を傾けていることについて質問しよう、と訴えていました。これは小さな変化ですが、正しい方向への一歩に見えます。
職名は、激しく変化していく職業世界における一時的な呼び名に過ぎません。例えば、私の業界は、職名を分ける細かな境界線が存在しません。さまざまなツール、フレームワーク、そのほか様々な領域での効率化が、クリエイティブワークを助けてくれます。そのおかげで、ウェブページのデザインとコーディングを、ひとりの人がこなすことも珍しくありません。ビデオ制作も同じ。ひとりの人間が、タレント、編集者、パブリッシャーと、何役もこなすようになっています。
大企業で働いているなら、職名は、あなたの給与や職位を証明するものになりえるでしょう。また、外部の人に対して、あなたが重要な人物で、魅力的な仕事をしているように見せる効果もあります。不動産業者がマンションを売るためにその地域の呼び名を変えたりするように。
そんなこんなで、私がちゃんと生計の立つ仕事をしていることを、人に理解させるのは本当に大変なんです。私の両親も私がどんな仕事をしているかまったく理解していません。ときには同級生にさえ理解されません。ですので、人から「お仕事は何ですか?」と聴かれると、ただちに話題を変えたくなるのです。自分の仕事が嫌いだからではなく、説明するのが面倒だからです。
とはいえ、私は、自分の仕事を簡単には説明できないことを良いことだとも思っています。自分の仕事をひとことで表現できないのは、その職業を表す言葉がまだ発明されていないからです。つまり、その職業は最先端だということです。
1950年台の後半に、プログラマーをしている人に、仕事は何ですか? と尋ねたと想像してください。80年台前半に金融トレーダーに、90年台にUXアーキテクトに尋ねたら? 職名が定まる前に尋ねれば、答えは説明的にならざるをえません。呼び名ができたとき、それは、文化の中に定着したことを意味します。名前がつくのは、それが身の回りに当たり前にあるようになってからなのです。
とはいえ、顧客対応係を「ハピネスオフィサー(幸福係官)」などと無理やり呼ぶことには、何のシンパシーも感じません。そうではなく、もしあなたの仕事が、それまでしてきた仕事をうまく組み合わせものだったり、新しいテクノロジーを使ったものや、全く新しいビジネス分野を開拓するものなら話は別です。自分の仕事をわかりやすく説明できないという事実をむしろ喜んでください。それはあなたが「クールな何か」をやっていることを意味します。
自分の成功は自分で評価すべきこと
もちろん、社内で使うための職名は必要です。組織図には何らかの職名が書かれねばなりません。私がいくら望んでも、人々はお互いの仕事を尋ね合うことをやめないでしょう。誕生パーティーで、友人のいとこから「お仕事は何を?」と聞かれるのは止められないかもしれません。しかし、自分にとって重要なことは何かは自分で決められます。同じく、自分の成功は自分で評価すべきものです。
聞こえの良い職名を求めるのは、名声を求めるのと同じです。そして、名声とは移ろいやすいものです。すっかり惨めになった金融ビジネスも、かつてはビジネススクールの卒業生が殺到する花型の職業でした。いまや、名声はスタートアップに移ってしまいました。
私たち人類は、つねに自分がしていることの説明を迫られる生き物なのでしょう。しかし、それは、面白いプロジェクトに取り組んだり、素晴らしい同僚と働いたり、働きに見合った報酬を得ることよりも重要なはずはありません。本当の充足感は、自分が創りだしたものや、他者に与えた影響を通してやってきます。それこそが、私たちが追い求めるべきものであり、人に話すべきものです。
私は、あなたが製品担当副社長であることに感銘を受けたりはしません。また、今話題のスタートアップや、名門企業で働いていても心は動きません。そうではなく、あなたが作ったものが大勢の人に使われているとしたら、感銘を受けるでしょう。私に会ったら、そういう話をしてください。
あなたはどうですか?
職名をどう扱うべきだと思いますか?
Sean Blanda(訳:伊藤貴之)
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