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庭で週刊新潮を読んでいた問題記事「植村隆」元記者を直撃した!――おごる「朝日」は久しからず(6)〈週刊新潮〉

Book Cafe 矢来町ぐるり 9月12日(金)17時1分配信

 世間に従軍慰安婦という存在を知らしめた立役者は、なんと言っても植村隆・元記者(56)をおいて他にない。朝日の検証記事(8月5日、6日)でも唯一、実名で取り上げられるという別格扱い。朝日批判の嵐が吹き荒れるさなか、本人を自宅に訪ねると、庭で『週刊新潮』を読んでいた。

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 元従軍慰安婦の肉声は、植村元記者が書いた『思い出すと今も涙』(1991年8月11日付・大阪本社版・朝刊)という記事によって、大々的に公開された。

 その記事は、“女子挺身隊”と“慰安婦”の意図的とも取れる混同、植村元記者の義母が日本政府に賠償を求める慰安婦訴訟原告団の幹部だったことなどから、“捏造疑惑”を招いた。しかし、朝日は検証記事であっさりとそれを否定。ならば、是非とも植村元記者本人に直接話を聞きたいところだ。本人は今年3月、函館支局長を最後に朝日新聞社を早期退職し、現在、北星学園大学(札幌市)の非常勤講師を務めている。

■中古で購入

 そこで、札幌市内の自宅を訪ねると、早朝6時、ゴールデンレトリバーを連れた植村元記者が玄関先に姿を現し、近くのコンビニに向かった。購入したのは、『週刊新潮』。程なくして帰宅し、犬にエサと水を与えてから、庭で『週刊新潮』にジッと目を凝らす。1時間ほど経ち、今度は自転車に乗って再び近くのコンビニヘ。手にしたのは、朝日ではなく、『読売新聞』だった。コンビニの駐車場でそれを食い入るように読み始めた。さすがに、他のメディアにどう報じられているのか気になるようだ。

 しかし、植村元記者に声をかけると、

「取材はお断りします。朝日に出ている通りです。広報を通してください」

 自分は当事者ではなく、広報相手の取材しかしていなかったのか。だとすれば二流だが、“元記者”になってからの生活はどのようなものなのか。

 近所の住民の話。

「あの家は2年半くらい前、まだ朝日に勤めていた頃に中古で購入していました。お母さんと奥さん、それに高校に通う娘さんとの4人で生活しているみたいです」

 当然のことながら、世間の風は冷たい。

 北星学園大学関係者によれば、

「“なんで雇ったんだ!”という抗議の電話はかかってくるし、保守系団体にビラを撒かれたこともありました。このままでは在校生はもちろん、入学志願者にも影響を及ぼしかねない。植村さんの非常勤講師の契約は1年ですが、更新は難しいかもしれません」

 自らの非を認めない往生際の悪さが、反発を招く原因の一つには違いない。

「特集 おごる『朝日』は久しからず」より
※「週刊新潮」2014年9月11日号

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最終更新:9月12日(金)17時1分

Book Cafe 矢来町ぐるり

 

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