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長岡昇さんの記事
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2014年09月06日
11:49
慰安婦報道、一番の責任者は誰か

閲覧件数:652
 古巣の朝日新聞の慰安婦報道については「もう書くまい」と思っていました。虚報と誤報の数のすさまじさ、お粗末さにげんなりしてしまうからです。書くことで、今も取材の一線で頑張っている後輩の記者たちの力になれるのなら書く意味もありますが、それもないだろうと考えていました。

 ただ、それにしても、過ちを認めるのになぜ32年もかかってしまったのかという疑問は残りました。なぜお詫びをしないのかも不思議でした。そして、それを調べていくうちに、一連の報道で一番責任を負うべき人間が責任逃れに終始し、今も逃げようとしていることを知りました。それが自分の身近にいた人間だと知った時の激しい脱力感――外報部時代の直属の上司で、その後、朝日新聞の取締役(西部本社代表)になった清田治史氏だったのです。

 一連の慰安婦報道で、もっともひどいのは「私が朝鮮半島から慰安婦を強制連行した」という吉田清治(せいじ)の証言を扱った記事です。1982年9月2日の大阪本社発行の朝日新聞朝刊社会面に最初の記事が掲載されました。大阪市内で講演する彼の写真とともに「済州島で200人の朝鮮人女性を狩り出した」「当時、朝鮮民族に対する罪の意識を持っていなかった」といった講演内容が紹介されています。この記事の筆者は、今回8月5日の朝日新聞の検証記事では「大阪社会部の記者(66)」とされています。

 その後も、大阪発行の朝日新聞には慰安婦の強制連行を語る吉田清治についての記事がたびたび掲載され、翌年(1983年)11月10日には、ついに全国の朝日新聞3面「ひと」欄に「でもね、美談なんかではないんです」という言葉とともに吉田が登場したのです。「ひと」欄は署名記事で、その筆者が清田治史記者でした。朝日の関係者に聞くと、なんのことはない、上記の第一報を書いた「大阪社会部の記者(66)」もまた清田記者だったと言うのです。だとしたら、彼こそ、いわゆる従軍慰安婦報道の口火を切り、その後の報道のレールを敷いた一番の責任者と言うべきでしょう。

 この頃の記事そのものに、すでに多くの疑問を抱かせる内容が含まれています。勤労動員だった女子挺身隊と慰安婦との混同、軍人でもないのに軍法会議にかけられたという不合理、経歴のあやしさなどなど。講演を聞いてすぐに書いた第一報の段階ではともかく、1年後に「ひと」欄を書くまでには、裏付け取材をする時間は十分にあったはずです。が、朝日新聞の虚報がお墨付きを与えた形になり、吉田清治はその後、講演行脚と著書の販売に精を出しました。そして、清田記者の愛弟子とも言うべき植村隆記者による「元慰安婦の強制連行証言」報道(1991年8月11日)へとつながっていったのです。

 この頃には歴史的な掘り起こしもまだ十分に進んでおらず、自力で裏付け取材をするのが難しい面もあったのかもしれません。けれども、韓国紙には「吉田証言を裏付ける人は見つからない」という記事が出ていました。現代史の研究者、秦郁彦・日大教授も済州島に検証に赴き、吉田証言に疑問を呈していました。証言を疑い、その裏付けを試みるきっかけは与えられていたのです。きちんと取材すれば、「吉田清治はでたらめな話を並べたてるペテン師だ」と見抜くのは、それほど難しい仕事ではなかったはずです。

 なのに、なぜそれが行われなかったのか。清田記者は「大阪社会部のエース」として遇され、その後、東京本社の外報部記者、マニラ支局長、外報部次長、ソウル支局長、外報部長、東京本社編集局次長と順調に出世の階段を上っていきました。1997年、慰安婦報道への批判の高まりを受けて、朝日新聞が1回目の検証に乗り出したその時、彼は外報部長として「過ちを率直に認めて謝罪する道」を自ら閉ざした、と今にして思うのです。

 悲しいことに、社内事情に疎い私は、外報部次長として彼の下で働きながらこうしたことに全く気付きませんでした。当時、社内には「従軍慰安婦問題は大阪社会部と外報部の朝鮮半島担当の問題」と、距離を置くような雰囲気がありました。そうしたことも、この時に十分な検証ができなかった理由の一つかもしれません。彼を高く評価し、引き立ててきた幹部たちが彼を守るために動いたこともあったでしょう。

 東京本社編集局次長の後、彼は総合研究本部長、事業本部長と地歩を固め、ついには西部本社代表(取締役)にまで上り詰めました。慰安婦をめぐる虚報・誤報の一番の責任者が取締役会に名を連ねるグロテスクさ。歴代の朝日新聞社長、重役たちの責任もまた重いと言わなければなりません。こうした経緯を知りつつ、今回、慰安婦報道の検証に踏み切った木村伊量社長の決断は、その意味では評価されてしかるべきです。

 清田氏は2010年に朝日新聞を去り、九州朝日放送の監査役を経て、現在は大阪の帝塚山(てづかやま)学院大学で人間科学部の教授をしています。専門は「ジャーナリズム論」と「文章表現」です。振り返って、一連の慰安婦報道をどう総括しているのか。朝日新聞の苦境をどう受けとめているのか。肉声を聞こうと電話しましたが、不在でした。

 「戦争責任を明確にしない民族は、再び同じ過ちを繰り返すのではないでしょうか」。彼は、吉田清治の言葉をそのまま引用して「ひと」欄の記事の結びとしました。ペテン師の言葉とはいえ、重い言葉です。そして、それは「報道の責任を明確にしない新聞は、再び同じ過ちを繰り返す」という言葉となって返ってくるのです。今からでも遅くはない。過ちは過ちとして率直に認め、自らの責任を果たすべきではないか。
コメント
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2014年09月14日
17:18
 韓国に対する理解を深めるために社内に留学制度ができ、その第一号が、清田治史と若宮啓文だった。朝日新聞をこの後、破綻へ導く二人の人間に白羽の矢が立ったことは象徴的だった。

 97年、慰安婦報道を巡る政治部と社会部の対立があったが、この時点でも遅きに失していた。しかし、あろうことか、「吉田証言がたとえ嘘であっても、絶対にないという証明はできない」と、政治部のまっとうな意見をつっぱね、客観的な検証記事に至らなかった。

 皮肉なことに、清田は事業担当役員から西部本社代表、取締役へ昇進する。まるで、インパール作戦の無謀な戦略立案で大勢の部下を殺害しながら、責任を部下に全て転嫁し、昇進した牟田口 廉也そっくり。
この間、清田は取材費の不正請求が発覚するが社内では不問にされた。

よほど、取締役の中に、清田をかばう上司がいたのだろう。なぜ、朝日新聞のA級戦犯である清田の罪が暴かれなかったのか?
朝日にはこういうタイプの人間が、社の金を不正に流用しても昇進できる旧陸軍的体質があったのか?

若宮啓文のことはまた機会があれば書く。父親の若宮小太郎は自分の古巣の朝日新聞で馬鹿息子のしでかしたことにさぞ怒っているだろう。
2014年09月08日
14:47
新聞は言論の自由を主張しているが、新聞社内では言論の自由がないような気がする。特に、内部告発などあり得ないのだろうか。

また、原発の是非のような世論を二分する問題に関して、どちらかに賛成という態度を決め、反対意見を封じこめるような雰囲気が強いのも気になる。
2014年09月07日
21:06
多分、このことを書く事に逡巡したでしょう。
勇気ある決断に感謝します。

これから当時の掲載にいたる経緯が、他の朝日新聞社の方を含めて、どんどん出てくることを期待します。

―悲しいことに、社内事情に疎い私は、外報部次長として彼の下で働きながらこうしたことに全く気付きませんでした。―

私は、この言い訳を信じていません。組織で働いている以上、言いにくかったかもしれませんが、朝日新聞社の中堅社員以上は、もっと早く決断すべきだったと思います。

朝日新聞出身の貴方に、仲間と一緒にしていただきたい事があります。

1.この一連の記事について外部委員会を早急につくり検証する。
外部委員会のメンバーは、産経・読売が協議して決める。

2.朝日の英字新聞で、今回の慰安婦をめぐる虚報・誤報における影響を、この問題が終結するまで毎日一面で詳細に報道する。外部委員会で新しい事実が判明するだろうから、報道経緯や朝日新聞しか知りえないこの問題に係わる弁護士、団体などの利害関係をスクープ報道する。

3.今回の一連の報道が国連のクワラスマミ報告に影響を与えたことを真摯に反省し、国連及び慰安婦に関連する議決を行なった国々に理解していただくまでわかりやすく説明する。

4.慰安婦像が建てられた場所とその予定の場所にて、朝日新聞社主催のシンポジウムを行い、その土地の議員及び市民にわかりやすく説明する。理解を得ないようであれば、何度でも説明会を行なう。

5.朝日新聞の現在の社主に退任してもらい、新たな日本人の社主に交代してもらう。社主の持分は各5%以下にし、偏った意見を反映しないような工夫が欲しい。現在の社主の退任理由は、この問題を23年間放置してきた事です。社員だけでなく社主の責任もあると考えます。

6.今後、こうした捏造記事が起きないよう、他新聞社、テレビ局と連携し、対策委員会を設ける。

  ①)NYタイムスが行なっているようなオンブスマン制度を利用して毎週オンブスマンによる検証記事を掲載する。

  ②新聞・TVを統括する各協会にて、報道の指針を示し、罰則規定を設ける。例えば、TVなら報道番組の放送を一定期間放送禁止にするとか・・・。

  ③新聞・TVの持ち合い関係と広告代理店の1極集中化を解消する方向に計画し、ロードマップを作成する。

朝日新聞社の慰安婦に関わる報道姿勢が、今までと一変する事になりますが、1945年当時にすでに経験済みだと思いますので、必ずこれらを完遂して下さい。
今、ミスを挽回するチャンスです。

長文、失礼いたしました。
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