東京五輪ゴルフ会場決定の「闇」
倉本昌弘PGA会長が“告発”
上杉隆 (ジャーナリスト・(株)NO BORDER代表取締役)
五月一日、東京都議会議員の元に届いた一通の手紙が、日本のゴルフ界を震撼させている。
〈2020年に開催される東京オリンピックのゴルフの会場が霞ヶ関カンツリークラブに決定しましたが、東京の中心にありながら、名門ゴルフ場にも勝るとも劣らないゴルフ施設「若洲ゴルフリンクス」の素晴らしさを改めてご説明させて頂きます〉
差出人の名は、公益社団法人日本プロゴルフ協会(PGA)会長の倉本昌弘。日本ゴルフ界の往年のスーパースター、五十八歳の今もツアーを戦うプロゴルファーでもある。
五輪のゴルフ競技は事実上、プロゴルファーの参加に限られることが確定している。各国二人(最大四人まで)、男女各六十人の選手が五輪ランキング(世界ランキングと同じもの)に基づいて選出される。現時点で二〇一六年のリオデジャネイロ五輪の参加選手を決めるとしたら、男子では松山英樹と小田孔明が選ばれ、石川遼や他のトップアマはランキング外で落選する。
実際に参加するプロを代表する立場にある倉本が、開催コースについて異議を申し立てたのだから、大きな衝撃を与えたのは当然だろう。
東京五輪のゴルフ競技会場は、一三年一月に国際オリンピック委員会(IOC)へ提出された立候補ファイルにも、「霞ヶ関カンツリー倶楽部」(埼玉県川越市。以下霞ヶ関)と記載されている。霞ヶ関は一九二九年に開場した日本の名門中の名門といわれるゴルフ場。旧皇族や政治家、財界人が会員に名を連ねる。
この名門クラブでの開催に、なぜ倉本は異議を唱えるのか。
倉本本人が語る。
「前回の一六年招致では、都内にある若洲ゴルフリンクスが競技会場でした。それが二〇年招致から霞ヶ関に変更になったわけですが、どうして変わったのか、細かい報告を受けていません。候補地選定の会議には、PGAの担当者も出席していますが、決定事項を追認するような場で、異論を挟める雰囲気ではなかったと聞いています。しかし、若洲こそ五輪会場に相応しい、非常に素晴らしいコースだと思います」
リオに敗れた一六年の東京五輪招致では、倉本が指摘するように、競技会場予定地は、霞ヶ関ではなく「若洲ゴルフリンクス」(東京都江東区。以下若洲)だった。
若洲は、東京都港湾局が所有するコースで、湾岸部の埋め立て地に位置している。選手村予定地から直線距離で四キロという立地で、石原慎太郎都知事時代から掲げた五輪会場を八キロ圏内に収める「コンパクト五輪」の条件にあてはまる。ところが、二〇年招致から、都内から五十キロ、車で一時間以上はかかる埼玉県の「霞ヶ関」に変更されたのだ。
なぜ競技会場は突然、霞ヶ関になったのか、なぜ若洲ではダメなのか――。倉本はそんな疑問から、問題提起したのだった。