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 「数奇」という言葉がこれほどふさわしい人もいない。女優・歌手、テレビ司会者、そして政治家……。94歳で亡くなった山口淑子さんは戦前、戦中、戦後の証言者でもあった。時の移ろいとともに薄らぐ戦争の記憶も、平和を祈念する姿勢も、山口さんの発言に鮮やかに記録されている。

 山口さんは2007~08年、朝日新聞社の「歴史写真アーカイブ」事業に協力、戦時下の中国各地で撮影された社所蔵の写真計126枚に証言を寄せた。

 取材は延べ6時間。東京の自宅マンションで旧満州(現・中国東北部)、北京、上海などの写真を見ながら行われた。洋画家梅原龍三郎が描いた、中国服姿の自身の肖像画が壁に掛かっていた。満州映画協会の甘粕正彦理事長や俳優チャールズ・チャプリン……。著名人の話題も出る一方、街並みや市井の人々の写真に思い出を重ね合わせては、歴史的事件の現場などについて述べた。

 「なんで日本人は、あんなに威張っていたのでしょうか。自分たちが『東洋の盟主』なんだと、勘違いしていたのでしょうか」

 戦時中の上海。人力車の引き手が「お辞儀をしなかった」として、日本の憲兵に公衆の面前でビンタをされる場に居合わせた時を思い出し、そう語った。