●Scott Sumner, “Why history of thought matters”(TheMoneyIllusion, January 14, 2014)
タイラー・コーエンがブログで触れていたので知ったのだが、新たにブログを始めたばかりのクリス・ハウス(Chris House)が次のように語っている。
大学院に入学したばかりの学生がケインズの『一般理論』にわざわざ時間を割くのは賢明ではないと個人的に考える理由は、過去の経済学者がこれまでに成し遂げた貢献のうちで重要な洞察は多かれ少なかれ現代のテキスト(教科書)の中にしっかりと取り込まれていると思われるからだ。現代の生物学者でダーウィンの『種の起源』をわざわざ読むような人物はほとんどいないだろうし、現代の数学者でユークリッドの『原論』を手に取るような人物はもっと少ないに違いない。現代の幾何学や数論についてちゃんと理解したいと思うなら、その分野の学部レベルの優れたテキストを読むべきだろう。進化論について学ぼうとする際にも同様のことが言える。ダーウィンの果たした貢献は確かに重要なものだ。しかしながら、進化の問題に関する現在の我々の理解はダーウィンの時代よりもずっと先に進んでいるのだ。大学院に入学したばかりの学生が『一般理論』そのものにわざわざ時間を割くのは賢明ではないと考える理由も同じだ。『一般理論』の中で語られているアイデアについてちゃんと理解したいと思うなら、『一般理論』そのものやヒックスの(いわゆるIS-LM)論文を読むよりもマンキューが書いている中級レベルのマクロ経済学のテキストを読んだ方が得策だろう。もっと高いレベルということであればブランシャール&フィッシャー(『マクロ経済学講義』)の第10章にあたればいい。
・・・(省略)・・・
私の意見が間違っている可能性も大いにある。例えばクリスティーナ・ローマー(Christina Romer)が次のように語っていたことを思い出す。院生時代の夏休みにフリードマン&シュワルツの『合衆国貨幣史』(A Monetary History of the United States)を読むことに決めたことがこれまでに自分が行った選択の中でも最高のものの一つだ、と。また、経済思想史やライティングの講義を受ける場合には学生は原典の一部に目を通すことを求められることだろう。過去の経済学者の貢献の中にはちゃんと理解されていなかったり、その価値が正当に評価されていなかったり、見過ごされてしまっているものがあるということも否定はしない。しかしながら、過去の経済学者の貢献のうちで現代の経済学の中に取り込まれていないものがあるとすれば、そうなるだけの(取り込まれないでいるそれなりの)理由があるのかもしれないと心に留めておきたいものだ。
大学院で教えられている最近のマクロ経済学のプログラムについては少しばかり疎い関係もあって私は(マクロ経済学を専攻する)大学院生にアドバイスを送る立場にはないとあらかじめ断わっておこう。そう断った上で言わせてもらうと、これまでにこのブログを通じてほどほどの成功を収めてくることができたと仮に言えるとしたらその大きな理由は経済史や経済思想史――この2つの分野は密接に関連しているというのが私の意見だ――の分野に私がいくらか通じていたからだと思われる。経済史や経済思想史を学ぶべき理由についていくつか例を挙げて論じてみることにしよう。
1. 戦間期1におけるマクロ経済の動向は第2次世界大戦後におけるそれよりもずっと興味深い様相を呈することになった。その大きな理由は各国の政府が突飛でクレイジーなありとあらゆる政策実験に乗り出したことにある。世界各国の中央銀行が金(正貨)準備率を急激に引き上げ、そのために世界中のマネーサプライが激減したらどういうことなるだろうか? 金利がゼロ%に達し失業率が25%を記録している中でアメリカ政府が平価を突然急激に切り下げたら(急激なドル安を容認したら)どういうことになるだろうか? 政府がすべての企業に対して労働者に支払う(時間当たりの)名目賃金を20%も引き上げるように突然予期しないかたちで命令を下したらどうなるだろうか? 以上の3つの政策実験は架空のものではなく実際に生じた出来事なのだ。それもわずか5年という短い期間の間に集中して生じたのだ。当時はまだマクロ経済に関するデータがそれほど整備されていなかったというのは確かだが、そのためもあって当時の経済学者たちは政策ショックの効果を測るために資産価格に着目した――そして政策ショックの効果を測るために資産価格に着目するというのは(データが整備されていようがいまいが)正しいやり方なのだ!
2. 戦間期を生きた経済学者たちは先に挙げたような政策実験とその結果をリアルタイムで目の当たりにした。そしてその観察を通じて銘々に己の政策観を形作っていったのである。マクロ経済というこの複雑極まりない存在を理解するための方法は数多くある。例えば、貨幣ショックの識別問題という現在でもまだ解決されていない話題について考えてみよう。金融政策のスタンスを測る上では(マンデル(Robert Mundell)流に)貨幣の価格(名目為替レート)に着目すべきなのだろうか? それとも(フリードマン流に)貨幣量に着目すべきなのだろうか? それとも(ケインズ流に)貨幣のレンタルコスト(≒金利)に着目すべきなのだろうか? 戦間期を生きた多くの経済学者は現代の経済学者とは大きく異なる思考枠組みに依拠して当時の政策問題に取り組んだ。2008年以降の経済危機について有益な発言をすることが多かったのはそのような戦間期の経済学者たちの(現在の経済学者からすると異質に見える)思考枠組みに通じていた(クリスティーナ・ローマーやロバート・ヘッツェル(Robert Hetzel)、デイビット・グラスナー(David Glasner)を筆頭とした)研究者の側だったのである。
現代のマクロ経済学者は方法論的に見て共通の土台の上に立っているように見える。特にDSGEモデルが幅広く支持されているようだ。しかしながら、仮にDSGEモデルが最善のアプローチだということになったとしても(個人的にはそうとは納得していないが)、2008年以降の危機のような事態に可能な限り万全な備えができるようにありとあらゆる多様なアプローチを試しておいた方が望ましいだろう。たった一つのアプローチに固執してしまうことは、鳥インフルエンザに免疫のない1000万人のクローン人間を一つの都市にまとめて集めるようなものだ。ニック・ロウ(Nick Rowe)がつい最近のエントリー〔拙訳はこちら〕でニューケインジアン(金融政策を金利の操作の観点から捉える立場)が異端と見なされている世界を描き出しているが、現実のこの世界では彼らニューケインジアンの見方こそが主流なのだ。思い出してほしいのだが、(ローマーやヘッツェル、グラスナーらを例外として)名の知れたマクロ経済学者の多くが2008年~2009年における金融政策の失敗についてほとんど言うべきことを持っていなかったのである。
(追記)『一般理論』の中にある最も優れたアイデアが果たして通常の(IS-LMモデルに大きく依拠した)テキストの中に取り込まれているかどうかという点については議論の余地があることだろう。仮にそうだ(取り込まれている)ということであったとしても私なら『貨幣改革論』や『貨幣論』を読むように学生に勧めることだろう。『一般理論』よりもこの2冊の方が優れていると思うからだ。ケインズだけではなくフィッシャー(Irving Fisher)やカッセル(Gustav Cassel)、ホートレー(Ralph Hawtrey)、ピグー(Arthur Pigou)らの著作も読むに値することを最後に付け加えておこう。
(追々記)この度EconLogブログにバブルに関するエントリーを寄稿したので目を通してもらえたら幸いだ。
- 訳注;第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発までの期間。1919~1939年までの約20年間。 [↩]
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