[PR]

 終戦直後の1945年10月、舞鶴市加佐地区の寺に疎開していた同市の明倫国民学校(現、明倫小)の子どもたちを大洪水が襲った。引率していた元教師の荒木花子さん(89)=同市水間=が児童らの命がけの脱出劇を証言し、市民団体が16枚の絵にまとめた。スライドにして21日、同市で上映会を開く。

 証言をまとめ、同市の余江美穂子さんに絵の制作を依頼した「戦争・空襲メッセージ編さん委員会」の関本長三郎事務局長によると、明倫国民学校の児童らは3~6年生46人が45年8月、同市桑飼上の由良川沿いにある荘厳寺に疎開した。終戦後も本堂や本堂わきの建物で暮らしていた。

 荒木さんによると、洪水が起きたのは10月7日。境内に水が入ってきたため、子どもたちを本堂の2階にあった位牌(いはい)堂に避難させた。しかし、午後にはそこにも水が迫ってきたため、「このままでは危ない」と窓から全員で声を限りに「助けて!」などと叫んだという。

この記事に関するニュース
  • レコメンドシステムによる自動選択