自然科学だったら、仮説を立て、実験群と統制群に分けて実験することで、問題の所在を切り分けていったりできます。
その過程では、他の人が追試しても同じ結果が出ることが大事であったりしますよね?
それはなんとなく理解できます!
でも社会科学や人文科学だとどうでしょうか?
歴史的な事情は実験群と統制群に分けたりできませんし、追試もできません。歴史学の人は、そういう状況で、自分の学説にどうやって説得力を持たせているのですか?
あるいは、ただの童話に見えて実は当時の政府を批判している文学作品があったとします。それが政府批判であるという読みが思い込みでないことを、どうやって他人に説明したらいいのでしょうか?
関連する本とかあったら教えてください。
高校生か学部生向けぐらいの本ならがんばって読めます!
歴史は科学じゃなくて、文学でしょ
もともとこれを見て、自分にはうまく考えられないなぁ…と思ったのがきっかけです。
5日と20日は歌詞と遊ぼう。
私は歌詞を読むブログを書いているのですが、読むということにどういう意味があるのか、前から気になっていました。
「そんなの断章取義じゃん!」
って言われたときに、
「でも楽しいからいいでしょ?」
って答える以外の方法はないかな…ってずっと思っていたのです。
アブダクション - Wikipedia
「アブダクション」がヒントになるかな?とか勝手に考えています。なんないかな…。
> ただの童話に見えて実は当時の政府を批判している文学作品があったとします。それが政府批判であるという読みが思い込みでないことを、どうやって他人に説明したらいいのでしょうか?
証拠を示すしかありません。例えば、作者が親しい人に書いた手紙や初版本のみについていたあとがきなど。
科学では、証拠に基づく議論は大事で、証拠を捏造する「ゴッドハンド」は最低の行為です。
科学的という哲学は、
「世の中の事象は、何らかの仮説が当てはまるかも知れない」
が根本原理です。そして、その仮説が構築する筋道は、
「よりシンプルな方が、きっと本質だろう」(オッカムの剃刀)
という方向で考えます。
仮説は仮説であって、次に出てくる「より本当らしい仮説」が現れるまでの命です。
この仮説構築と、仮説の補強は、どの分野でも有効な考え方なので、理系文系を問わず、使用できます。
実験による検証と、1回しか起こっていないことの検証は、実は同じで、その本質は何?に答えられればOKです。抽象的な概念でもOK.論理さえ通っていれば、証明可能です。
強いて言うなら、類似の事象が存在していて、そちらの本質も同じ論理であることが実証(論理だけで押し通すのですが)できればOK.
「歴史は繰り返す」
「英雄譚の類型」
「人間の本質と、独裁者の振る舞いは類似する」
等々、エッセンスで歴史も比べられそうです。
文学も、構造的に論じる方法があり、シェイクスピアとの構造比較など、文学部の一部では普遍的なアプローチと思われます。
エッセンスの埋め込みと掘り出しは、謎解きとは違い、答えがあるかどうかわからないところから始まります。しかし、童話に含まれる寓意や社会思想は、論理で当てはめることができるはずです。なぜならば、その社会思想を童話を読んで「読み取った」人がいるわけですから。なにか理由があるはずです。それは、思考の破たん者でない限り、何らかの説明が付きます。この説明こそが、仮説であり、どんなに突飛でも「破たんのない論理」で貫かれている限り、議論の対象になるはずです。
恐竜の考古学は、実験不可能ですが、科学的アプローチを行っています。
生命を生じさせる実験はまだできていませんが、その仮説は議論の対象です。
いまだに、コンクリートが固まる原理がわかりません。仮説に結論はないのです。
科学は仮説の議論の場です。鼻から否定する姿勢が、非科学的なだけなのです。
この概念は、
99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)
この本に書かれています。
たけじんさん回答ありがとうございます!
文学も、構造的に論じる方法があり、シェイクスピアとの構造比較など、文学部の一部では普遍的なアプローチと思われます。
構造主義でしょうか。
文学的な作品を、もっと抽象的にモデルにして、同じモデルに対して
同じ操作ができる、という感じでしょうか。
具体的作品を抽象的モデルにするにあたってはアブダクションを使う感じ…かな。
本のご紹介ありがとうございます!
タイトルが妙にキャッチーなので勝手に忌避していました。
明日図書館に行ってみます!
歴史は主に二種類あると思います。
一つは、洗脳や結果ありきで、そのために作られた物語としての歴史。
日本書紀も皇国史観もマルクス主義もこの類。
一見非科学的ですが、「いかに洗脳するか、他人を納得したつもりにさせるか」という点では「科学的」だと思います。(洗脳・納得させることができれば成功)
もう一つは、実証史学。
史料批判を重視したもの。
一般的には科学的なものとされていると思います。
史料批判で積み上げても、隙間はできるのでそこは仮説でおぎなうことになる。
完全な証明は新史料がでるのを待つことになるのでしょう。
でもこれは、理論物理学などとも似ているところです。
実験が簡単にできないので、もっともっぽいもので単純に説明できるものを是とする。
>ただの童話に見えて実は当時の政府を批判している文学作品があったとします。それが政府批判であるという読みが思い込みでないことを、どうやって他人に説明したらいいのでしょうか?
「当時の政府を批判している」の定義がむつかしいですね。
1.筆者の意図が批判であることなのか、
2.筆者の意図と別に政府が批判と感じていることなのか、
3.第三者が批判と判断していることなのか。
1.なら、筆者の考えがわかる他の文献があるかなど。
2.なら、政府が筆者を罰したり規制したりしているか、コメントなどを出しているか。
3.は広すぎですね。当時だけでなく、現在までの人々の判断ですから。
個人的には、批判したかもしれない作品が潰されずにどういう経緯で残されていったかに興味があります。
そのへんにヒントがあるかもしれません。
>歴史は科学じゃなくて、文学でしょ
自然科学も「文学」的なところがある。
相対論や量子論を勉強した人は、「ニュートンの力学を教えられたことの物語性」に気づくと思います。
tea_cupさん
2014/09/13 23:00:36回答ありがとうございます。
そのスタイルだと、文学でいう「作家論」というものに似ているかと思います。
でもそれだと、作者がAをBと言えば、それだけでAがBになってしまいそうで、
少しナイーブにすぎるという感じがしています
(それとも、私の認識がナイーブなのでしょうか…)。
ただの童話という体裁の文章があり、それが政権批判にも読める場合、
作者に政権批判という意識がなくても、結果的に
政権批判する効果をもたらす、みたいなことはあると思うんですが…。
これ、話を進めるとだんだん自分でも何を言っているのか
わからなくなりそうな嫌な予感がします…。