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映画『クローズド・サーキット』を見て、陰謀論について考えた

 ジョン・クロウリーの監督による『クローズド・サーキット』がレンタルに出ていたので、ブルーレイ版を借りて見てみた。
 映画の舞台となるのは、イギリス。繁華街の中で監視カメラに写っている中で爆弾テロ事件が勃発する。事件の容疑者が逮捕されると、「国家安全保障」の理由により、非公開の状態で裁判が展開されることになる……という設定。この裁判に携わることになった弁護士が、事件の詳細を調べるにつれ、つじつまの合わないおかしなことに気づきはじめ、それと同時に、身の回りに徐々に危険が迫る……というストーリー。
 個人的に、監視カメラを題材に取り上げた映画って、結構気になるんですよね、映像的にどう処理するのかという部分で。特にイギリスは監視カメラ網が非常に発達している国なので、そこを舞台としている以上、なんらかの実験的なことがなされているのではないかと。それでブルーレイを手に取ってみたわけですが、そこで気になったのが、上映時間である……90分ちょいでまとまっていたのだ。
 ふつうの映画であれば、90分程度でかっちりとまとまっているのは、どう考えても美点である。が、こういう題材を取り上げた映画をてきぱきとまとめ上げるのは難しいはずなので……「これ、もしかして、陰謀論丸出しの映画なんじゃねえか?」という一抹の不安が脳裏をよぎる。
 まあ、それでいざ見てみると……やっぱり、もろに陰謀論全開の映画なのでした。
 映画が始まったばかりの冒頭部分は、爆弾テロを様々な角度から撮影した複数の監視カメラの映像を組み合わせたもので、これはなかなか面白い。……が、いざ映画の本編に進むと、ふつうに劇が進む個々の場面の演出は総じて低調で、正直、見るべきものは特になかった……。
 にもかかわらず、とりあえずはするすると最後まで特に苦痛でもなく見ていることができるのはなぜかと言うと、それこそまさに、この映画が陰謀論を基調としたストーリーを展開しているからだろう。
 ある人物の身の回りに、原因不明の不可解な出来事やら事故やらが頻発する。それらは偶然であるのかもしれないし、そうでないかもしれない。個々の出来事につながりがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。……が、それら全てが、事件の背後に隠れた単一の黒幕の陰謀によって統合されていると想定するのならば、全ての出来事がつじつまの合うものとしてすとんと腑に落ちるものになる。
 結果として、そのような陰謀論を題材にしてストーリーに形態に落とし込めば、起伏のある展開で盛り上げつつ90分以内で綺麗にまとめ上げるようなことも可能になるわけだ。
 このエントリでは、『クローズド・サーキット』を見てから考えたこととして、陰謀論と物語との関係を少し考えてみたい(そのため、以下の部分では、この映画自体について触れることはほとんどありませんのであしからず)。


 これは、結構以前から考えていたことなのだが……なぜ人が陰謀論に陥ってしまうのかということは、ほとんど認知科学の問題なのではないかと思うのだ。
 現実の世界に存在する、多種多様であり、なおかつそれぞれが必ずしも理解が容易ではない情報の群れは、人間にとってたやすく消化し取り入れることができるものではない。……例えばこの『クローズド・サーキット』という映画の冒頭でも、無数の監視カメラの映像が画面上に並列されて一挙に写し出されるのだが、それを一望してその全てを完全に認識することなど、とてもではないができないわけだ。
 現実問題として、今の世の中には、人間の認知能力を超えた量の情報が流通している。そして、ある主体にとって理解できなかったり受け入れられなかったり不都合であったりする情報が複数ある時、それら全てを背後から操る陰謀の黒幕が一つあることを想定すれば、一見すると不可解な情報の束につじつまがあったような気になり、納得することができる。
 言い換えれば……陰謀論を想定することで、人は、自分が受け入れるべき情報の総量を圧倒的に縮約することができる。結果として、認知に際しての負荷は大幅に軽減されるだろう。
 つまり、なぜ人が陰謀論に陥るのかと言えば、それが快適だからだと思うのだ。だから、これに対して、その誤謬を論理的に指摘したところで無駄であろう。陰謀論とは、あくまでも「快-不快」の問題なのであって、「真-偽」の問題ではないからだ(……だから、以前にリメイク版『ロボコップ』に関するエントリで書いたように、人が陰謀論を想定したがるような状況を、陰謀論を完全に排除して描ききると、カタルシス皆無になり、商業的には大コケしてしまうわけだ)。


 そのような陰謀論の問題をフィクションの内部で探求するのはどういうことかと考えると、やはり、トマス・ピンチョンに言及せざるをえないだろう。
 ピンチョンは、しばしば自分の小説を、一見すると脈絡のつかない情報で溢れさせる。そして、そんな情報の奔流の背後に、巨大な陰謀の姿が浮かび上がることになる。陰謀はあるのかもしれない。ないのかもしれない。人が本当に陰謀に翻弄されているのか、それとも被害妄想を患っているだけなのか、決定不可能な状態に宙吊りにされる。
 つまりピンチョンは、情報が多すぎて主体がその処理に追いつかないゆえに陰謀論に傾いてしまうような、その生成過程のギリギリの部分をあえて描いている。ピンチョンがなぜそのような境界地点にこだわるのかというと、陰謀論を想定してパラノイアに陥ることがアメリカ合衆国にとって深刻な病理であるからだろう。とはいえ、単に陰謀論を外部から冷笑するのではなく、陰謀論に陥りかねない主体をその内側から描き、陰謀論の生成そのものに立ち会おうとすることにピンチョンの強みがある。また、陰謀論も単に荒唐無稽なものとして描くのではなく、本当に実在するかもしれないものとしての線を探ってもいる(例えば、第二次世界大戦の当時を舞台とする『重力の虹』であれば、当時本当に存在していたカルテルを題材とする)。
 陰謀論に陥るのか陥らないのかのギリギリのせめぎあいがなされるような境界地点を描くからこそ、ピンチョンの小説はそう簡単に読みこなせるようなすっきりとしたものにはならず、分量が多くもなる。逆に、とりあえずは作中での陰謀の実在が確かなものとして設定するならば、記述は段違いに整理されてストーリーの展開も読みやすいものとなり……結果として、『競売ナンバー49の叫び』のような、短く読みやすく、ふつうの意味で面白い作品になるのだろう。


 さて、以上のように整理してみて改めて思うのは……「陰謀論」とは、実は「物語」とほとんど同じものなのではないか、ということだ。というか、より正確を期して言うならば……「陰謀論」とは、「物語」のある一つの側面なのではなかろうか。
 ある一定量以上の分量を持った情報の集積について、それを他者へと伝達しようとする者は、その全てを細大漏らさず完全に伝達しきることは、ふつうできない。情報を整理し、脈絡をつけ、因果関係を明らかにした上で、始まりと終わりを持って首尾一貫した道筋を持った言説を構成する……これが、物語である(ここで言う物語とは、そこで語られる内容がフィクションであるとは限らない)。
 人は、どんな対象についてでも、完璧に細部を拾い上げた情報を認識しきることはできない。だから、情報を取捨選択し、つじつまのあう因果関係を備えることによって情報が大幅に圧縮された「物語」を摂取することになる。しかし、「物語」とは既に情報が圧縮されたものであるのだから、何らかのバイアスがかかることを避けることができない。
 しばしば人は、マスメディアが伝達する情報にバイアスがかかっていることに憤る。しかし、どのような形の報道であれ、偏りを完全に排除することなどできない。どれほど些細な事件であったとしても、その事件に関するありとあらゆる情報をいっさい省略せずに完全に伝達することなど、できはしないからだ。
 もちろん、物語の伝達に際してのバイアスは、可能な限り排除した方がいいに決まっている。しかし、それをゼロにすることはできないし、それができないのは、あらゆる形態のコミュニケーションに必然的について回ることなのであって、我々人間の誰一人として、ここから逃れることはできないのだ。


 これを書いていて思い出したのだが……少し前に、藤井太洋という人が書いた『Gene Mapper』というSFを読んだのだけれど、これがまあヒドイ小説だった。
 主に近未来のAR環境について書かれたSF的なガジェット的な描写は、凄いのだろう。しかし、それらを作中で展開させるベースとなる物語が、なんともしょうもないものなのである。
 物語の中であからさまな悪として描かれるのが、アメリカでトップクラスにいるというジャーナリストだ。一方、主人公の側に属する、科学やテクノロジーに携わる人々は、ひたすら善良であり、科学の可能性を信じており、それを人類のために役立てるという高い志を持った上でそれぞれの仕事に励んでいる。
 そんな善良な人々に対して、科学やテクノロジーに対する愚かな偏見を持ったジャーナリストが、自分に都合よく歪めた報道をするような形で立ちはだかる。そして主人公たちは、知恵や勇気を駆使して、悪のジャーナリストの陰謀を打ち破るのだった。めでたしめでたし。
 ……で、何がヒドイのかと言うと、ジャーナリストの描写が、およそ現実にはありえないようなものなのである。例えば、ジャーナリストの性格の悪さを表すために、ふつうに人が行き交うような場所で、平気で人の身体的特徴を差別するような発言を口にするような描写がある。
 イエロージャーナリズムならともかく、欧米で信憑性が高いと見なされるようなジャーナリズムでトップクラスにいるというような人物がそんな軽率なことをするなど、まずありえないことだ。……念のために書いておくと、これは何も、欧米のジャーナリストに偏見がない、などということではない。どのような発言が差別なのかという共通了解がはっきりしており、公的な形で何を言ってはいけないのか、何を言ったらキャリアが破滅することになるのか、それらに関する認識が浸透している、ということだ。
 おそらく、この『Gene Mapper』という小説を書いた人は、日本のジャーナリストに対する憎悪があるのではないか……と思う。そして、偏見に満ちた報道をするマスコミへの見解をそのまま欧米のジャーナリストにも適用した……その結果として、こんな珍妙な描写が生まれてしまったのではなかろうか。
 はっきり言って、ジャーナリストや政治家に共有されている失言の基準は、日本と欧米では全く異なる。単純に、それを把握せずに安易に描写しているようにしか読めないのだ。
 そして……『Gene Mapper』という小説にとって最も問題であるのは、小説もまたメディアであるという自己反省が、全く見られないことだ。
 なるほど、マスコミの報道には、その報道内容に関する専門家の目から見れば、不当なバイアスがかかっていることがしばしばあるだろう。しかしそれは、マスコミが悪意や愚かさゆえに陥っていることでは、必ずしもない。それはむしろ、コミュニケーション自体に本質的に内在する欠陥なのである。そして、小説なり映画なりもまた物語とともに伝達されるメディアの一種である以上、この欠陥から免れていない。
 実際、『Gene Mapper』という小説も、ジャーナリズムに対する憎悪を表明しながら、悪質なジャーナリズムよりもさらに酷い形で、あり得ない形にバイアスがかけられ歪められた情報をばらまいているのである。はっきり言って、ここまで述べてきたような描写は、例えば海外で書かれた小説が、現代の日本人に関して依然としてチョンマゲを結っている描写をしてしまう……そんなことと大差ないような代物である。


 なぜ『Gene Mapper』という小説の欠陥が目についてしまうのかというと、そこには明確な理由がある。……SFの世界には、既に、グレッグ・イーガンの『万物理論』という小説があるからだ。
 『万物理論』の話者は、最先端の科学に関する一般向けの紹介記事を書くジャーナリストである。彼自身は、常に公正な報道を目指してはいる――しかし、仕事の状況であったりスケジュールに追われて時間がなかったりすることによって、常に自分で納得のいく記事が書けるわけではない。場合によっては、自分が十分に熟知しているわけではない分野について、さぐりさぐり書かなければならないような場合もある。
 彼の周囲には、高い志を持って真理を追い求める科学者もいる。一方、科学に対する根拠のない偏見にとらわれた頑迷で愚かな人間もいる。科学に対して様々なスタンスを取る人々がおり利害関係が複雑に錯綜する中で、適切な立場を取り公正な報道をすることを願っても、常にそれがうまくいくわけではない。自分にできることとして、一文一文を書いていく、ジャーナリストとして必要な技術を地道に磨いていくしかない。
 イーガンが、欠陥を抱えバイアスから逃れられないジャーナリストの姿を、小説家としての自分自身の姿に重ね合わせていることは明らかであろう――と思っていたんだが、ちっとも明らかじゃなかったんですねえ。
 日本のSF業界の界隈にはかなり以前に『万物理論』が翻訳・紹介されて高い評価を得ていたわけだが、それからだいぶ経った後で『Gene Mapper』のような小説が出てきても、けっこうな好評を博している。……ということは、『万物理論』にしても、あくまでもSFの文脈の内部のみでの評価がなされていただけで、イーガンの小説家としての真摯な自己省察なんてどうでもよかったのね……。
 ……おそらく、人は、仮に陰謀論を免れることができても、さらに広い「物語」全般の罠から完全に逃れることなどできないのではあるまいか。それが正しいのであれば、人ができるのは、自分自身もまた既に荷担してしまっている愚かさを自覚することでしかないだろう。
 自分自身の愚かさを直視すること――それができなければ、たとえ「物語」を書くことはできても、「小説」を書くことはできないのである。







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