中国が日本と国交を正常化したのは1972年のことだった。当時、両国の首相が調印した共同声明には、理解しがたい文言が含まれていた。5項目目の「中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄する」というものだ。 日本がこれと引き換えに経済協力についての協定を締結したわけでもない。
日本が満州(中国東北部)だけにとどまらず、中国の中原(黄河中・下流域の平原)にまで侵攻したのは1937年のことだ。その後、45年まで8年にわたり、中国の広い国土と多くの人命が日本によって踏みにじられた。56年、日本がフィリピンに支払った、4年間の戦争に対する賠償金が5億5000万ドル(現在のレートで約590億円)だったことを考えれば、中国はその数倍の賠償金を手にすることができたはずだ。
これについて、当時の中国首相・周恩来はこのような発言をしたとの記録がある。「日本の人民もわが人民と同じように、軍国主義者の犠牲になった被害者だ。日本に賠償を求めれば、結局同じ被害者である日本の人民が(賠償金を)支払うことになってしまう」。当時、文化大革命で国じゅうを血の海にしていた共産党政権の発言とは思えないほど寛大な言葉だ。
だが、周恩来首相が終始一貫して笑顔を見せていたわけではない。中国側が強硬に主張し、共同声明の前文に盛り込んだ文言は「日本が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」というものだった。
日本の田中角栄首相(当時)は当初「中国国民に対して多大のご迷惑をかけたことについて、深い反省の念を表明する」と発言した。この「多大なご迷惑をかけた」という部分が通訳を介して「添了麻煩」と訳されたため問題になった。周首相は「中国ではうっかり女性のスカートに水をかけたときなどに、軽いお詫びの言葉として『添了麻煩』と言う。侵略戦争で数百万もの犠牲者を出させた側が使う言葉ではない」。これは「迷惑事件」として、中・日両国の外交史に記録されている。中国は賠償請求を放棄する代わりに、過去の反省を求めるという意思を貫いたのだ。