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2014年9月12日(金) NEW

原発事故から3年半 除染廃棄物の行方は

阿部
「東日本大震災から3年半。
東京電力福島第一原発の事故で拡散した放射性物質をめぐる問題は、いまだに解決の見通しが立っていません。」


鈴木
「福島県内で除染で出た土などは、最大で2,200万立方メートルと推計されています。
東京ドーム18杯分にあたります。
この除染で出た土などについて国は、現在、置かれている『仮置き場』から福島県内に建設する『中間貯蔵施設』にまとめ、そこから30年以内に県外で『最終処分』を完了するとしています。
中間貯蔵施設は今月(9月)、福島県知事が建設の受け入れを表明。
今後、建設のため少なくとも2,000人にのぼるとみられる地権者との交渉が行われることになっています。
現在、福島県内にある仮置き場は造成中のものも含めておよそ900か所。
さらに自宅の庭先や駐車場などで保管しているケースも5万3,000か所にのぼり、国は対応を急ぎたいとしているのです。」

阿部
「中間貯蔵施設の候補地、福島県大熊町から中継でお伝えします。」

東日本大震災から3年半 “原発の町”はいま

黒田
「福島第一原発から7キロほどの距離にある、大熊町大川原地区です。
このあたり、実はかつては水田が一面に広がっていました。
しかし、原発事故で農作業ができなくなって草も生い茂り、今はこの用水路だけが、かつてこの辺りに水田があったその面影を残しています。

こちら、除染で出た廃棄物を保管する『仮置き場』です。
今は緑のシートがかけられています。
この仮置き場だけで、実に2万5,000の廃棄物を詰めた袋が保管されています。
その数は日々増え続けています。
このような除染の廃棄物の山、福島県内にはいたるところにあります。
住民からは『安心できない』という声も上がっています。
こうした仮置き場をなくすために、国は中間貯蔵施設の建設が不可欠だとしています。
しかし、中間貯蔵施設の建設候補地に自宅や田畑などがある人たちは、自分が生まれ育ったふるさとが完全に失われかねないと苦悩を深めています。
候補地に自宅のある、1人の男性を取材しました。」

中間貯蔵施設 住民の苦悩

双葉町から南相馬市に避難している、池田耕一(いけだ・こういち)さんです。
事故前は、7ヘクタールの水田などを耕す大規模農家でした。
江戸時代から続く農家の6代目として、幼い頃から先祖が荒れ地を切りひらいてきた苦労を聞かされて育ってきました。


池田耕一さん
「1代目の茂八じいちゃん、2代目の由松じいちゃん。」

自らも先祖が残した田畑を次の世代に引き継いでいくことが務めだと信じてきました。


池田耕一さん
「ひとくわずつおこして田んぼを作った。
大変な苦労だったと思う。」



ところが、福島第一原発の事故によって、原発からおよそ1点5キロの場所にあった自宅周辺では農業を営むことができなくなりました。
その上、中間貯蔵施設の建設候補地となり、先祖代々の田畑が完全に失われる可能性が出てきたのです。

今年(2014年)6月、国が開いた住民説明会に参加した池田さん。
中間貯蔵施設の設置を求める国に対して、土地を手放す考えはないと強く訴えました。

池田耕一さん
「先祖が骨折って血みどろになり、寝ないで働いて築き上げた財産。
絶対、手放すことはできない。」

しかし今月、事態は池田さんの思いとは別の方向に動き出しました。
態度を明確にしてこなかった福島県の佐藤知事が、中間貯蔵施設の建設を受け入れると表明したのです。



池田さんの気持ちが揺らぎ始めました。
さらに、池田さんの心を悩ませたのが、買い物や用事で出かけるたびに目に入る、除染廃棄物でした。
自分がいつまでも反対していては、福島全体の復興が進まなくなってしまうのではないか、そう考えるようになったのです。

池田耕一さん
「こういうの(除染廃棄物)があっては復興にならない。
福島県を1日も早く復興にもっていくには、これをどこかに持って行く。」

福島のため施設を受け入れざるを得ないかもしれない。
今週月曜、池田さんは、自分の気持ちを確かめるため双葉町の自宅に一時帰宅しました。
人の暮らしが途絶えた町は、地震が起きたあの日から時が止まったままです。

池田耕一さん
「もうめちゃくちゃです」

久しぶりに見る自宅は、傷みがさらに激しくなっていました。

池田耕一さん
「もう見られないありさま。」

池田耕一さん
「言葉にあらわせない、つらい、本当に。」

家の様子をひととおり確認した池田さんが取り出したのは、ビデオカメラです。
池田さんは、中間貯蔵施設ができた場合のことを考え始めていました。

池田耕一さん
「中間貯蔵施設ができることで取り壊しになる、全部。
6代目のおじいちゃんのときにこういうことがあったと、知らせておきたい。」

中間貯蔵施設受け入れに心が傾きかけた池田さん。
立ち去る間際に、田んぼだった場所の前で足を止めました。
先祖代々苦労して築き上げた田んぼは、再び池田さんに、ふるさとを諦めきれないという思いを呼び覚ましたのです。

池田耕一さん
「元の姿に戻らなくても、半分でもいい、3分の1でもいい。
元の姿にしたいという考えが強いからこそ悩んでいる。」

先祖には、中間貯蔵施設について、まだ何も報告できていません。
池田さんは、今も悩み続けています。

中間貯蔵施設 候補地の住民は

黒田
「池田さんのように、自宅などが中間貯蔵施設の候補地となっている住民は、3,000人あまりにのぼるとみられています。
こちら、中間貯蔵施設の建設候補地です。
この大熊町と双葉町にまたがるこの地域(赤色と紫色のエリア)、施設ができると人が住むことができなくなります。
しかし今、私がいる大川原地区(黄色のエリア)は、いち早い住民の帰還を目指し、優先的に除染が行われ、そして町の復興の拠点として整備が進められています。
中間貯蔵施設の候補地に住んでいる人たちには、大熊町に必ず戻ってきたいと願っている人が数多くいます。
その1人、根本友子(ねもと・ともこ)さんです。
おはようございます。」

根本友子さん
「おはようございます。」

黒田
「根本さんは現在、この大熊町から90キロ離れた会津若松市の仮設住宅で避難生活を送っています。
根本さん、県は中間貯蔵施設の建設受け入れを表明しました。
ご自宅のある場所に中間貯蔵施設が建設されるかもしれない、どういう不安がありますか?」

根本友子さん
「そうですね、私の場合は家も田畑も山林も、これまでずっと一生懸命頑張ってきた会社も全てなくなってしまうんですよね。
大熊町にはもう何も残らないと。
それから説明会もやってませんし、最終処分場も決まってませんし、とてもとても受け入れをするような気持ちにはまだなれません。
そして何よりも、大事なふるさとがなくなってしまうのはどうしても受け入れることができないと、自分の気持ちの中では今そんな感じです。」

黒田
「そんな心配、不安が尽きない中で、根本さんが大熊町で今、取り組んでいることがあります。
全国から寄せられたヒマワリの種を植え、そのヒマワリが花を咲かせています。
根本さん、このヒマワリにはどんな思い、どんな願いが込められていますか?」

根本友子さん
「ずっと大事に大事につないできた種なんですけども、やっと今年(2014年)大熊町に戻ってまくことができたので。
ヒマワリの花ってこう、ぱっと咲いて、見てる人を元気にするじゃないですか。
ヒマワリの花を見て、皆が元気になってもらいたいし、絶対ここに帰ってくるんだって、そういう気持ちを強く持っていただきたいなと思ってまきました。」

黒田
「ありがとうございます。
震災から3年半、かつての町への帰還が今も見通せない中、ふるさとへの思いは強まっています。
福島県大熊町からお伝えしました。」