双葉町から南相馬市に避難している、池田耕一(いけだ・こういち)さんです。
事故前は、7ヘクタールの水田などを耕す大規模農家でした。
江戸時代から続く農家の6代目として、幼い頃から先祖が荒れ地を切りひらいてきた苦労を聞かされて育ってきました。
池田耕一さん
「1代目の茂八じいちゃん、2代目の由松じいちゃん。」
自らも先祖が残した田畑を次の世代に引き継いでいくことが務めだと信じてきました。
池田耕一さん
「ひとくわずつおこして田んぼを作った。
大変な苦労だったと思う。」
ところが、福島第一原発の事故によって、原発からおよそ1点5キロの場所にあった自宅周辺では農業を営むことができなくなりました。
その上、中間貯蔵施設の建設候補地となり、先祖代々の田畑が完全に失われる可能性が出てきたのです。
今年(2014年)6月、国が開いた住民説明会に参加した池田さん。
中間貯蔵施設の設置を求める国に対して、土地を手放す考えはないと強く訴えました。
池田耕一さん
「先祖が骨折って血みどろになり、寝ないで働いて築き上げた財産。
絶対、手放すことはできない。」
しかし今月、事態は池田さんの思いとは別の方向に動き出しました。
態度を明確にしてこなかった福島県の佐藤知事が、中間貯蔵施設の建設を受け入れると表明したのです。
池田さんの気持ちが揺らぎ始めました。
さらに、池田さんの心を悩ませたのが、買い物や用事で出かけるたびに目に入る、除染廃棄物でした。
自分がいつまでも反対していては、福島全体の復興が進まなくなってしまうのではないか、そう考えるようになったのです。
池田耕一さん
「こういうの(除染廃棄物)があっては復興にならない。
福島県を1日も早く復興にもっていくには、これをどこかに持って行く。」
福島のため施設を受け入れざるを得ないかもしれない。
今週月曜、池田さんは、自分の気持ちを確かめるため双葉町の自宅に一時帰宅しました。
人の暮らしが途絶えた町は、地震が起きたあの日から時が止まったままです。
池田耕一さん
「もうめちゃくちゃです」
久しぶりに見る自宅は、傷みがさらに激しくなっていました。
池田耕一さん
「もう見られないありさま。」
池田耕一さん
「言葉にあらわせない、つらい、本当に。」
家の様子をひととおり確認した池田さんが取り出したのは、ビデオカメラです。
池田さんは、中間貯蔵施設ができた場合のことを考え始めていました。
池田耕一さん
「中間貯蔵施設ができることで取り壊しになる、全部。
6代目のおじいちゃんのときにこういうことがあったと、知らせておきたい。」
中間貯蔵施設受け入れに心が傾きかけた池田さん。
立ち去る間際に、田んぼだった場所の前で足を止めました。
先祖代々苦労して築き上げた田んぼは、再び池田さんに、ふるさとを諦めきれないという思いを呼び覚ましたのです。
池田耕一さん
「元の姿に戻らなくても、半分でもいい、3分の1でもいい。
元の姿にしたいという考えが強いからこそ悩んでいる。」
先祖には、中間貯蔵施設について、まだ何も報告できていません。
池田さんは、今も悩み続けています。