皆、平等ってどんな風に定義してるんだろう。人によって色々と変わると思うんだけど思いつくままに書いてみる。
食べ物があるとする。これをどうやって分け与えるか?
人によっては
「全員等分にして分け与えるのが平等だ」
と言うだろうし、
「お腹が空いている人、体の大きい人が優先だ」
つまり必要のある人に多く配分されるのが平等と言う人もいるだろう。
特に食べなくても死にはしない。おいしいだけ。つまりは嗜好品だ。
お腹が空いてても、体が大きくても、飢餓状態でなければ食べる必要もないだろう。
この場合の必要のある人とは、無理やり考えてみるとケーキが大好きな人だろう。
ケーキが大好きな人と、特に好きでも嫌いでもない人がいる場合、ケーキが大好きな人に多く配分されるのが平等だろうか。
とは言っても、基本的に何もしてない、ただ好きなだけの人に多く配分するのは不公平ではないか?
本当に好きならばケーキを得るために何か行動をして皆に貢献しなければいけないのでは?
人よりケーキを多く食べるためには、自分のお金でケーキを買う、または皆のお金だが自分が買いに行く、後でお返しするなど、何か行動するのが平等か。
これを仕事に当てはめてみる。
何でも等分に与える
どんなに働いても給料は変わらない。どこの会社でも、どんな職種でも、もちろん学歴も関係ない。
必要な人は多く配分される
子供がいる、配偶者がいる、介護の必要な親がいる、体に障害がある、などの理由で給料が多く支払われる。
好きな人ほど多くもらえる
特にお金がいらないという人は薄給で働き、お金が欲しくて仕方ない人は高給取りになる。
もらうために何か行動を起こす
お金をもらうために頑張って働いた人ほど多くの給料がもらえる。
どれが本当に平等だろうか。
形式的平等と実質的平等、つまり機会と結果