朝日新聞OBとしては、なんとも傷ましいという思いで、朝日新聞の会見を「ニコニコ動画」で見ていました。原発をめぐる「吉田調書」について、吉田所長の待機命令に反して職員の9割が逃げ出したという事実はなかったとして、朝日は記事を取り消しました。
編集担当の説明では、当初は記事の内容に自信を持っていたが、他のメディアが吉田調書を入手して、朝日の記事を批判するようになって、あらためて検証したところ、待機の命令はあったものの、命令違反で撤退という事実はなかったことがとわかった、とのことでした。
しかし、私の印象は違います。その記事が出たときに、非公開だった事故調の吉田調書を入手したことは大スクープだと思いましたが、「命令違反で撤退」という見出しはずいぶん無理をしたなと思ったからです。
「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに着いた後、連絡をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」
吉田調書にあるこの発言を根拠に、「命令違反」と断じているわけですが、これが根拠なら、せいぜい「所長の意図に反して退避」ぐらいだと思いました。
ただ、非公開の文書を入手した場合に、記者はそれを大ニュースだとするために、せいいっぱい盛り上げるのが習性ですから、無理をしたなと思ったわけです。しかし、吉田証言は、このあと、結果的には第2原発への退避の判断は正しかったとか、伝達ゲームで混乱などとも証言しているのですから、「命令違反で撤退」は事実誤認ということでしょう。
問題は、ほかの新聞の指摘を待つまでもなく、事前の段階で、編集の幹部が吉田調書などで、「命令違反」の根拠を確認していれば、現場の「暴走」を防げたと思うのです。社長や編集担当は「記者の思い込み」を強調していましたが、入手から掲載まで比較的時間があったと思われることを考えれば、現場の「思い込み」よりも、編集幹部のチェックの怠慢かチェック能力の欠如が最大の原因だと思います。
麻雀を例に使うのは古い世代の典型ですが、吉田調書を入手した段階で、満貫は確定しているのに、「命令違反」で盛り上げてハネ満や倍満を狙ったところが「大チョンボ」を招いたわけです。実際に、編集幹部と現場の取材チームとの間で、どんなやり取りがあったのかわかりませんが、吉田調書から世界を驚かす新事実を、という期待が編集幹部からあり、それに応えたいという現場チームの思いが誤報につながったのだと思います。
この記事をもとに、「東電いじめの朝日」ではなく、「日本人を貶める朝日」というコンセプトを生み出したジャーナリズムの巧みさには敬服しますが、朝日のなかに、東電たたきならフライングも許される、という甘えはあったと思います。
私も記者時代、独自に入手した文書や情報を1面トップに盛り上げるため、衣をまぶしたり、トッピングをかけたりしたことは、何度もありますから、現場の記者を責める資格はありません。ただ、無理して盛り上げた記事を出すと、最終的な紙面になる過程で、あちこちから「盛り上げすぎ」とケチを付けられ、おとなしい記事になることが多かった記憶があります。
ともあれ、吉田調書はそれだけで大きな影響力のあるニュースですから、繰り返しますが、編集幹部のチェック能力がなかったことが最大の問題だと思います。現場を委縮させることなく、「暴走」や「思い込み」を防ぐチェック体制をどうやって構築するか、「新体制」には、まずチェック能力のある人間をどうしたら起用できるのか、そういう問題意識で考えてほしいと思います。
ところで、会見では、池上問題についても質問があり、「自由に発言できる言論空間をつくるのが朝日」だと、社長は胸を張っていましたが、本当でしょうか。
池上問題について、掲載拒否については、どこかで社長にも報告が行っているはずで、週刊誌に書かれる段階で初めて社長が知ったとは考えにくいし、自由な言論空間が社長のモットーなら、最終的に掲載を決めた段階で、少なくとも編集担当らの責任を厳しく問うべきでした。今回の会見でも、池上問題についての責任は出てきませんでしたが、途中経過にせよ、池上氏に掲載拒否を伝える判断をした責任は編集担当にあるわけで、解任の理由に付け加えるというか、吉田調書と同等の責任を編集担当に負わせるべきだったと思います。
「慰安婦問題」について、「吉田証言」(上記の「吉田調書」とは別人)にかかわる記事を朝日が取り消した段階で「おわび」が必要だという批判に応じる形で、社長が文字通り「おわび」を述べました。
私は「おわび」よりも、なぜ早く取り消さなかったのかの検証のほうが大事だと思いますが、おわびもないよりはましかもしれません。「吉田証言」が虚偽だとしても、それで「慰安婦問題」が消えてなくなるわけでもないし、河野談話も含め、これまでの政府の対応は、吉田証言が根拠になっているわけではありませんから、社長が慰安婦問題で退くことはしないと、宣言したことは、よかったと思います。
吉田証言の虚偽を朝日が認めたことで、慰安婦問題そのものが虚構だったかのような論議があるようですが、国際的にもそれは通用しないと思います。朝日が吉田証言を取り上げなければ、慰安婦問題は政治問題にならなかったかどうかは仮定の問題ですが、世界的に女性の人権問題が大きく取り上げられるようになった時代背景のなかでは、少なくとも社会問題として慰安婦問題が取り上げられたと思います。
慰安婦をめぐるNHKの会長発言が問題になったのは、「強制連行」という吉田証言が事実として前提になっていたからではありません。この問題についても、朝日は第三者委員会を立ち上げるそうですが、ぜひ、世界に通用する「慰安婦問題」の観点から論議してもらういたいと思います。